東慶悟
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東 慶悟

名前
愛称ケイゴ
カタカナヒガシ ケイゴ
ラテン文字HIGASHI Keigo
基本情報
国籍
日本
生年月日 (1990-07-20) 1990年7月20日(33歳)
出身地福岡県北九州市若松区[1][2]
身長178cm
体重72kg
選手情報
在籍チーム FC東京
ポジションMF[3] / FW[4]
背番号10
利き足右足[5][6][7]

クラブ1
年クラブ出場(得点)
2009-2010大分トリニータ 52 (8)
2011-2012大宮アルディージャ 53 (9)
2013-FC東京 302 (16)
代表歴2
2006 日本 U-16
2010-2012 日本 U-21/22/2331 (5)

獲得メダル

アジア競技大会
2010 中国・広州サッカー


1. 国内リーグ戦に限る。2024年1月5日現在。
2. 2012年5月23日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

東 慶悟(ひがし けいご、1990年7月20日 - )は、福岡県北九州市若松区出身のプロサッカー選手JリーグFC東京所属。ポジションはミッドフィールダーフォワード。元日本代表
来歴
プロ入り前

兄の影響で6歳(小学1年生)の時にサッカーを始める[6][7]。中学校のコーチが大分トリニータスタッフの立石敬之の甥であり、同クラブを見学する機会を得て好印象を抱く[8]

当時は周囲とのレベル差もあって王様然としたプレースタイルが身に付いており[9]、中学3年生時にU-15高円宮杯県予選でアビスパ福岡U-15に大敗したことを機に、高レベルの環境を求めてJリーグクラブのアカデミー入りを決心[10]

2006年より大分トリニータU-18へ加入。同期に清武功暉岸田和人岸田翔平など。大きな環境の変化の中、オフ・ザ・ボールの動きの重要性を実感して意識を改め[11]、練習に励んだ。
大分トリニータ

2009年、U-18からトップチームへ昇格[3]。同年途中から指揮を執ったランコ・ポポヴィッチの下で[12]、ボランチからトップ下やウイングなどの攻撃的なポジションに移されると[13]、高卒ルーキーながら23試合に出場した。J1第20節名古屋戦でプロ初得点を記録[14]。スコア1-1の試合終了間際、金崎夢生からのパスを浮かせて[15]、GK楢ア正剛の横を抜くという劇的な決勝弾だった[16][17]。2010年には、主力のほとんどが移籍した大分の中心選手として、J2で6得点を記録。U-21日本代表としても2010年アジア競技大会に出場し、日本の金メダル獲得に大きく貢献した。
大宮アルディージャ

2011年に大宮アルディージャへ完全移籍[18]。同年、アルベルト・ザッケローニが指揮を執るA代表候補に初選出された[19]。U-22/U-23日本代表としてもロンドンオリンピックのアジア2次予選及び最終予選の全8試合に先発出場し、予選突破に貢献。本大会でも背番号10を背負い[20]、落ち着いたボール保持とFW永井謙佑の周囲のスペースを効果的に使う起点となるプレーで[21] ベスト4入りを果たした[12][6]

大宮ではクラブの象徴的存在だった藤本主税からポジションを奪取[22]。トップ下やサイドハーフを務めたものの、ボールを貰うため後方に下がらざるを得ず[20]、守備の負担もあって[22][23]、ゴール前でのチャンスメイクに専心できない場面もあった[20]。大宮からの契約延長オファーを固辞し[12]2012年限りで退団。
FC東京

鹿島C大阪などが獲得に動く中[24]、恩師ポポヴィッチが監督を務め[16]梶山陽平の後釜を求める[12]FC東京が獲得に成功[25][26]。加入早々にして東京のパスサッカーにフィットし[23]、攻撃をリード[20]。巧みな動き出しでスペースを作り[27] FWを活かした。

2013年5月、複数のポジションでプレーでき、ゴールへ向かう積極性[注 1]を評価され[29]キリンチャレンジカップ及びワールドカップアジア最終予選に臨む日本代表に初めて選出された[6]

2014年はポジションを3ボランチの一角[30]、インサイドハーフへと下げ、守備にも奔走[31]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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