東急7000系電車_(初代)
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東急7000系電車
東横線で急行運用に就く7000系
(1980年3月)
基本情報
運用者東京急行電鉄
製造所東急車輛製造[1]
製造年1962年 - 1966年
製造数134両
運用開始1962年2月1日
運用終了1991年9月21日(目蒲線)
1999年8月(こどもの国線の定期運用、以降は予備車)
主要諸元
編成2両[2]、4両[3]、6両[4]、8両[3]
軌間1,067 mm
電気方式直流1,500V
架空電車線方式
最高運転速度90 km/h
設計最高速度110 km/h
起動加速度4.0 km/h/s
(3.0 km/h/sとなっている資料もある[7]
減速度4.0 km/h/s[7]
車両定員先頭車140人(座席52人)[6]
中間車150人(座席60人)[6]
自重27.32t(M1)[6]
27.18t(M2)[6]
28.15t(M1c)[6]
28.02t(M2c)[6]
全長18,000 mm[5]
全幅2,800 mm[5]
全高3,790 - 4,000mm[5]
床面高さ1,125 mm
車体ステンレス鋼
台車PIII-701形[5]
主電動機TDK826-A[6]
HS-830-Arb(日立車)[6]
直流複巻電動機
主電動機出力60 kW[6]、端子電圧187.5V[6](東洋車)
70 kW[6]、端子電圧375V[6](日立車)
駆動方式中空軸平行カルダン駆動方式
(撓み板継手方式)
KD-102A[6]
歯車比85:13 (6.54)[8]
制御方式抵抗制御
制御装置ACRF-H860-754A(東洋車)
MMC-HTR-10A(日立車)
制動装置回生ブレーキ併用電磁直通ブレーキ
保安装置東急形ATS
営団WS-ATC(東洋車の一部)
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東急7000系電車(とうきゅう7000けいでんしゃ)は、134両が東急車輛製造で製造され、1962年昭和37年)から[9]2000年平成12年)まで[10]東京急行電鉄で運用された通勤形電車である。

本項では、編成単位で表記する場合は東横線上で渋谷寄りの先頭車番号で代表し、「7001F」などの様に表記する。「6000系」は1960年製造開始の東急6000系電車 (初代)を指す。本系列の仕様に大きな影響を与えた、日比谷線直通車両の規格や運転取り扱い[注 1][12]は、「乗り入れ協定」と表記する。「東急」と表記する場合は1962年当時の社名である鉄道会社の「東京急行電鉄」を指し、車両製造メーカーの「東急車輛製造」は「東急車輛」と表記する。東急の各線は過去に路線名・運転系統を何回か変更し、路線名および区間が時代により異なるが、記事中では記載された事象がおこった時点の路線名で記載している。

なお、本項目では基本的に7000系のみ解説するため、当形式より改造された7700系や譲渡車については当該記事を参照。
概要

東急車輛がアメリカバッド社と技術提携により製作した日本初のオールステンレス車両であり[13][14]1962年1月25日から1966年9月10日にかけて、134両が同社で製造された[1]。総数134両は、東急の1系列として当時最大両数であった[15]

東横線帝都高速度交通営団(現・東京地下鉄日比谷線直通運転を前提として設計された[16]ため、車体の規格は乗り入れ協定に準拠したものとなっているが、乗り入れに必要な機器が搭載された車両は一部にとどまった[17]。最初に製造された車両には制御装置をはじめとする電装品には6000系で採用されたのと同等のものも多く採用された[18]が、車体や台車にはバッド社の特許技術が多く盛り込まれた。東急車輌は本系列について、『東急車輌30年のあゆみ』に以下のように記している。当社にとって,オールステンレスカーと国鉄電車製作は経営史上においても画期的な事柄であった ? 『東急車輌30年のあゆみ』、56-57頁より引用。

また、本系列の製造を通じて、同業他社と肩を並べるまでの技術発展ができたと評している[19]。また、「1960年代のエポックメーカー」などと評されることもある[20]

当初は東横線に配置され[21]1964年から日比谷線乗り入れを開始、次いで1966年から田園都市線でも運用されるようになる[22]など、池上線[注 2]、新玉川線を除く東急の鉄道線各線で広く運用された。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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