2000年8月6日に目蒲線から分割された目黒線については「東急目黒線」を、おなじく東急多摩川線については「東急多摩川線」をご覧ください。
目蒲線
末期の目蒲線で運用された7200系
(2000年8月3日 鵜の木駅)
基本情報
国 日本
所在地東京都
起点目黒駅
終点蒲田駅
駅数15駅
開業1923年3月11日
廃止2000年8月6日(この日に目黒線と東急多摩川線に分割)
所有者東京急行電鉄
運営者東京急行電鉄
使用車両使用車両の節を参照
路線諸元
路線距離12.9 km
軌間1,067 mm
線路数複線
電化方式直流1,500 V
架空電車線方式
閉塞方式自動閉塞式
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停車場・施設・接続路線
(2000年8月5日現在)
凡例
0.0目黒駅
1.0不動前駅
1.9武蔵小山駅
2.6西小山駅
3.3洗足駅
↓大井町線→
4.3大岡山駅
5.5奥沢駅
←東横線↓
6.5田園調布駅
7.3多摩川園駅
←(目黒線)
8.2沼部駅
9.3鵜の木駅
9.9下丸子駅
10.7武蔵新田駅
11.6矢口渡駅
12.9蒲田駅
目蒲線(めかません)は、かつて東京都品川区の目黒駅と大田区の蒲田駅との間を結んでいた東京急行電鉄(東急[1])の鉄道路線である。
東京急行電鉄の母体でもある目黒蒲田電鉄が最初に開業させた路線である。2000年8月6日に多摩川駅(同日、多摩川園駅から改称)を境に以下の路線に分割[2]され、「目蒲線」という名称は消滅した。 路線の分割直前のもの。 目蒲線の最終運行日(2000年8月5日)時点のダイヤでは、すべての列車が各駅停車で運転されていた。原則として目黒駅 - 蒲田駅間の通し運転だが、朝と夜を中心に奥沢駅発着(田園調布 - 多摩川間の改良工事開始前までは朝に田園調布駅発着)の区間列車も存在した。朝は3分30秒間隔、日中は7分30秒間隔、夜は5分間隔で運転されていた。 1923年3月11日に目黒蒲田電鉄(目蒲電鉄)が目黒駅 - 丸子(現・沼部)駅間を開業させ、次いで同年11月1日に蒲田駅まで全通させた。この路線が後の東急目蒲線である。この年は9月に関東大震災があった直後であり、沿線には被災者が一時の住まいを求めて集まり、そのまま住みつく人も多かったため、原町、月光町、大岡山、洗足の人口が一挙に増え、目蒲電鉄は経営成績を順調に伸ばした[3]。 また、池上電気鉄道(現・池上線)も目黒 - 蒲田間の路線を計画し、同年5月には一部区間を開通させていたが、目蒲電鉄の全通によって計画の変更を余儀なくされた。 当時の営団地下鉄南北線・都営地下鉄三田線との相互直通運転が2000年9月26日に開始されるのに伴い、同年8月6日に運転系統が分離され、目蒲線は目黒線と東急多摩川線の2路線に分割された。
系統名としての分割
目黒駅 - 多摩川駅 - 武蔵小杉駅:目黒線(分割と同時に武蔵小杉駅まで延伸。2008年6月22日に日吉駅まで延伸)
多摩川駅 - 蒲田駅:東急多摩川線
路線名としての分割
目黒駅 - 田園調布駅:目黒線
田園調布駅 - 多摩川駅:東横線複々線区間
多摩川駅 - 蒲田駅:東急多摩川線
路線データ
路線距離:12.9km
軌間:1067mm
駅数:15駅(起終点含む)
複線区間:全線
電化区間:全線(直流1500V)
閉塞方式:自動閉塞式
運行形態
歴史
1923年(大正12年)
3月11日 目黒線として目黒駅 - 丸子駅(現、沼部駅)間 (8.3km) 開業。
10月 目黒不動前駅を不動前駅に改称[4]。
11月1日 蒲田線として丸子駅 -蒲田駅間 (4.9km) 開業(全通)。全通後は目黒線と統合し、目蒲線に改称。
1924年(大正13年)
2月29日 丸子駅 - 武蔵新田駅間に鵜ノ木駅(現、鵜の木駅)開業[4]。
5月2日 鵜ノ木駅 - 武蔵新田駅間に下丸子駅開業[4]。
6月1日 小山駅を武蔵小山駅に、丸子駅を武蔵丸子駅に改称。
1925年(大正14年)10月12日 矢口駅(後の矢口渡駅) - 蒲田間に本門寺道駅開業[4]。
1926年(大正15年)1月1日 調布駅を田園調布駅に、多摩川駅を丸子多摩川駅に、武蔵丸子駅を沼部駅に改称[4]。
1928年(昭和3年)8月1日 武蔵小山駅 - 洗足駅間に西小山駅開業[4]。
1930年(昭和5年)5月21日 矢口駅を矢口渡駅に改称[4]。
1931年(昭和6年)1月1日 丸子多摩川駅を多摩川園前駅に改称[4]。
1936年(昭和11年)1月1日 本門寺道駅を道塚駅に改称[4]。
1945年(昭和20年)
6月1日 矢口渡駅 - 道塚駅 - 蒲田駅間休止(1946年(昭和21年)廃止)。
8月14日 矢口渡駅 - 蒲田駅間の新線開業。
1955年(昭和30年)11月15日 架線電圧を600Vから1500Vに昇圧[5]。
1963年(昭和38年)4月1日 保安度向上のため、ATSの前身となる車内警報装置を導入[6]。
1965年(昭和40年) 洗足駅を環七通りとの立体交差のため地下化。
1966年(昭和41年)1月20日 鵜ノ木駅を鵜の木駅に改称[4]。
1967年(昭和42年)4月1日 朝夕ラッシュ時の目黒 - 田園調布間区間列車にかぎり、4両編成での運転を開始[7]。
1969年(昭和44年)8月1日 さらなる保安度向上のため、ATS(東急ATS)を導入[6]。
1974年(昭和49年)11月 朝夕ラッシュ時の区間列車の4両編成運転を廃止、全列車3両編成に戻る[7]。
1977年(昭和52年)12月16日 多摩川園前駅を多摩川園駅に改称[4]。
1981年(昭和56年)11月30日 田園調布駅 - 武蔵新田駅間の荷物輸送を廃止[8]。
1989年(平成元年)
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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