東急バス大橋営業所
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東急バス大橋営業所(とうきゅうバスおおはしえいぎょうしょ)は、かつて東京都目黒区大橋1-9-10にあった東急バスの営業所である。主に渋谷駅 - 世田谷区各方面、目黒区北部、渋谷駅 - 大井町駅の路線を所管していた。最寄り停留所は「大橋」で、営業所の略号は「O」を使用していた。
目次

1 沿革

1.1 玉電代替からの出発

1.2 駒沢所管路線の引き受け

1.3 高速道路用地へ


2 廃止時の所管路線

2.1 等々力線


3 営業所廃止前に廃止・移管された路線

3.1 池尻線・用賀線

3.2 新道線・砧線

3.3 松陰線

3.4 経堂線

3.5 品川線

3.6 野沢線

3.7 清水線

3.8 大橋線

3.9 祖師谷線

3.10 環七線

3.11 成城線

3.12 渋谷空港線


4 車両

5 その他

6 近くの駅

7 脚注

8 外部リンク

沿革
玉電代替からの出発

1969年(昭和44年)5月11日玉川線(玉電)廃止に先立ち、廃止代替系統を運行するために開設された営業所である。

組織としては既存の不動前営業所を移転する形を取り、玉電廃止まであと4日と迫っていた5月7日、旧不動前営業所[1]の活動終了と同時に、玉電大橋車庫の土地を使って立ち上げられた。詳細は「東急バス不動前営業所#大橋営業所の基礎に」および「東急玉川線#玉電廃止後のバス交通」を参照

品川線など不動前が所管していた路線が開設と同時に移管された後、玉電代替の用賀線、新道線、松陰線などが加わった。東急では玉電代替系統用として110両もの新車を大橋に集中配備し、不動前からの移籍車も含めて156両の車両を擁する大規模な営業所となった。玉電代替には長尺車(社内呼称「ラッシュバス」)が優先的に使われ、渋谷と三軒茶屋の間はこの区間のみを折り返し運転していた渋01だけで毎日200便以上が運行されるというバス全盛時代だった。しかし、大橋だけでは足りず、渋04や渋12急行など一部が高津営業所所管となった他、瀬田営業所のグランド線、駒沢営業所の等々力線、弦巻営業所の成城線など玉川通り・世田谷通りを走る他営業所や小田急バス都営バスといった他社の路線も玉電代替の役割を担った。

1977年(昭和52年)4月7日の新玉川線(現、田園都市線)開業に伴い、玉電代替系統は大幅に縮小される。玉電や新玉川線の線路に完全に沿っていた用賀線・池尻線が廃止になり、鉄道と一部並行しないという理由で存続した新道線も減便、急行が廃止された(後述)。高津が所管していた溝の口行きの渋04系統が旧道経由便として唯一存続するが、二子玉川までに短縮された後結局廃止になった。一方で、新玉川線の開業後も世田谷線へは三軒茶屋での乗り換えが必要となるため、渋谷から世田谷線沿線方面への直通バスが絶対不可欠という理由で松陰線と経堂線が存続された。

それ以降も系統の再編・移管が相次ぐ。新道線は1984年(昭和59年)の駒沢営業所閉鎖に合わせて行われたダイヤ改正の際、高津営業所に移管され、経堂線も松陰線との重複を理由に廃止、玉電代替の面影を残すのは松陰線のみとなった。
駒沢所管路線の引き受け

玉電代替路線の廃止で余裕のできた大橋営業所は、都営共管路線の衰退とともに規模を縮小していた駒沢営業所を実質的に吸収する形となる。駒沢閉鎖を目前にした1984年2月16日のダイヤ大改正では、営業所開設以来一貫して駒沢所管だった環七線と等々力線を引き受け、大田区を営業エリアに加えた。

これにより大橋営業所は規模を維持したが、1988年(昭和63年)、最盛期には新宿まで運転されていた野沢線が渋谷駅直通を取りやめ中目黒駅打ち切りのローカル線になる。
高速道路用地へ

1986年(昭和61年)、首都高速道路公団(現・首都高速道路会社)の投資計画で中央環状線西側の建設が内定。しかし、バブル景気の影響で都市計画決定は遅れ、1990年(平成2年)までずれ込んだ。大橋営業所の用地には大橋ジャンクションが建設されることとなり[2]、東急はいずれは土地を手放すという道筋が決まった。大橋営業所は長期的に存続できなくなる方向性へと流れ出す。「首都高速中央環状線#歴史」も参照

しかし、バブル崩壊による首都高速道路公団の投資計画の狂いが大きく、用地買収は遅れていく。1999年(平成11年)、山手トンネルにかかる都市計画の変更決定を経て建設はいよいよ本格的に動き出す。東京急行電鉄交通事業部から独立した東急バスもこれに対応、大橋の受け持ち路線と車両を他営業所へ段階的に移管することにした。この時、野沢線が東急トランセ管理委託第一号路線に選ばれて下馬営業所に移管された。

2002年(平成14年)3月15日、松陰線が弦巻営業所に移管され、玉電代替以来の系統がすべて姿を消すと、旧不動前以来一貫して担当した品川線も同年7月15日限りで目黒に渡り、最後まで残った等々力線も同年9月15日限りで瀬田営業所に引き渡された。翌9月16日、大橋営業所は33年間の歴史に終止符を打って廃止された。なお敷地に東急バスの本社が入る「大橋東急ビル」も併設されていたが、ビルはジャンクションの工事が本格化した2008年(平成20年)に本社が移転するまで残された。

営業所の廃止に伴い、出入庫を兼ねた「大橋車庫」、「大橋」発着便も廃止されたが、「大橋」停留所は以前と同じ位置に存続している。
廃止時の所管路線
等々力線

渋82:渋谷駅 - 大橋 -
三軒茶屋 - 駒沢 - 深沢不動前 - 等々力

渋82:大橋 - 三軒茶屋 - 駒沢 - 深沢不動前 - 等々力(出入庫系統)

1984年(昭和59年)2月16日に東82(東京駅八重洲口 - 渋谷駅 - 等々力)の都営バスとの共同運行取りやめ・渋谷駅を境にした分割により登場した系統で、分割時に駒沢営業所から移管されている。

2002年9月15日の大橋営業所最終営業日まで残存した唯一の路線で、翌日以降は瀬田営業所への移管とともに東急トランセ委託路線となっている。詳細は「東急バス瀬田営業所#等々力線」および「東急バス駒沢営業所#等々力線」を参照
営業所廃止前に廃止・移管された路線
池尻線・用賀線
池尻線


渋01:渋谷駅 - 大橋 - 三軒茶屋

用賀線


渋02:渋谷駅 - 大橋 - 三軒茶屋 - 駒沢 - 用賀折返所

渋03:渋谷駅 - 大橋 - 三軒茶屋 - 駒沢 -
桜新町 - 用賀 - 瀬田 - 二子玉川園駅(現・二子玉川駅


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