東平郡
[Wikipedia|▼Menu]

東平郡(とうへい-ぐん)は、中国にかつて存在した漢代から唐代にかけて、現在の山東省済寧市一帯に設置された。
概要

紀元前144年前漢景帝中6年)、梁王劉武の子の劉彭離が済東王に封じられると、済東国が置かれた。紀元前116年元鼎元年)、済東王劉彭離が廃位されると、済東国は廃止され、大河郡が置かれた[1]紀元前52年甘露2年)、宣帝の子の劉宇が東平王となり、東平国が立てられた[2]。東平国は?州に属し、無塩任城東平陸富城・章・亢父の7県を管轄した。王莽のとき、有塩郡と改称された[3]

後漢が建てられると、東平郡と改称された。39年建武15年)に光武帝の子の劉蒼が東平公に封じられ、41年(建武17年)に東平王に進んで、東平国がまた立てられた[4]。東平国は無塩・東平陸・富成・章・寿張・須昌・寧陽の7県を管轄した[5]

曹魏が建国されると、東平国は廃止されて、東平郡とされた。232年太和6年)、曹徽が東平王となり、東平国が立てられた[6]

265年泰始元年)、西晋が建国されると、司馬楙が東平王に封じられ、東平国が立てられた[7]。東平国は須昌・寿張・范・無塩・富城・東平陸・剛平の7県を管轄した[8]

南朝宋のとき、東平郡は無塩・平陸・須昌・寿昌・范の5県を管轄した[9]

北魏のとき、東平郡は済州に属した[10]

583年開皇3年)、が郡制を廃すると、東平郡は廃止されて、?州および済州に編入された。590年(開皇10年)、済州・?州・曹州の一部を併合して、?州が立てられた。607年大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、?州は東平郡と改称された。東平郡は?城・?城・須昌・宿城・雷沢・鉅野の6県を管轄した[11]

621年武徳4年)、唐が徐円朗を平定すると、東平郡を?州と改めた。742年天宝元年)、?州は東平郡と改称された。758年乾元元年)、東平郡は?州と改称され、東平郡の呼称は姿を消した[12]
脚注^史記』梁孝王世家
^漢書』宣帝紀
^ 『漢書』地理志上
^後漢書』光武十王列伝
^ 『後漢書』郡国志三
^三国志』魏書武文世王公伝
^晋書』武帝紀
^ 『晋書』地理志上
^宋書』州郡志一
^魏書』地形志二中
^隋書』地理志中
^旧唐書』地理志一










漢朝の行政区分

 前漢

司隷校尉部

京兆尹渭南郡

左馮翊河上郡

右扶風中地郡

河南郡

河東郡

河内郡

弘農郡

豫州刺史部

潁川郡

汝南郡

梁国(?郡)

沛郡

?州刺史部

淮陽国淮陽郡

陳留郡(済川郡)

定陶国(済陰郡

東郡

山陽郡(昌邑国)

東平国

泰山郡

城陽国

青州刺史部

斉郡

済南郡(博陽郡)

済北国

平原郡

千乗郡

?川国

高密国膠西国

北海郡

膠東国

東?郡

徐州刺史部

東海郡

楚国彭城郡

魯国(薛郡)

琅邪郡

広陵国広陵郡

臨淮郡

泗水郡沛郡

冀州刺史部

魏郡

趙国

広平国

鉅鹿郡

清河郡

信都国広川国

河間国

真定国

常山郡恒山郡

中山国

幽州刺史部

広陽郡燕国

?郡

勃海郡

上谷郡

漁陽郡

右北平郡

遼西郡

遼東郡

蒼海郡

楽浪郡

真番郡

臨屯郡

玄菟郡

并州刺史部

太原郡

代郡

上党郡

雲中郡


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:91 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef