東寺
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東寺


所在地京都府京都市南区九条町1
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度58分49.3秒 東経135度44分51.7秒 / 北緯34.980361度 東経135.747694度 / 34.980361; 135.747694座標: 北緯34度58分49.3秒 東経135度44分51.7秒 / 北緯34.980361度 東経135.747694度 / 34.980361; 135.747694
山号八幡山
院号祕密傳法院
宗旨真言宗
宗派東寺真言宗
寺格総本山
本尊薬師如来重要文化財
創建年延暦15年(796年
開基桓武天皇
正式名八幡山金光明四天王教王護國寺祕密傳法院
彌勒八幡山總持普賢院
別称左大寺
札所等洛陽三十三所観音霊場第23番
真言宗十八本山第9番
西国愛染十七霊場第8番
京都十三仏霊場第12番
京都十二薬師霊場第2番
都七福神毘沙門天
神仏霊場巡拝の道第84番(京都第4番)
文化財金堂、大師堂(御影堂)、五重塔ほか(国宝
講堂、南大門、木造大日如来坐像ほか(重要文化財)
世界遺産
公式サイト東寺 ? 世界遺産 真言宗総本山 教王護国寺
法人番号9130005002235
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オープンストリートマップに東寺の地図があります。

東寺(とうじ)は、京都市南区九条町にある、東寺真言宗総本山日本の仏教寺院山号は八幡山。本尊薬師如来真言宗の根本道場であり、教王護国寺(きょうおうごこくじ)とも呼ばれる(名称については「寺号」の節を参照)。寺紋は雲形紋(東寺雲)。食堂(本尊・十一面観音)は洛陽三十三所観音霊場第23番札所。

創建由来は、平安京鎮護のための朝廷官寺として建立が始められた後、嵯峨天皇より空海(弘法大師)に下賜され、真言密教の根本道場として栄えた。このため国宝重要文化財を含む文化財が多数残る。明治維新まで、東寺の長官である4人の東寺長者は真言宗の最高位であり、中でも長者の筆頭である東寺一長者は律令制における仏教界の首座である法務も兼任する慣例だった。中世以降の東寺は弘法大師に対する信仰の高まりとともに「お大師様の寺」として庶民の信仰を集めるようになり、21世紀の今日も京都の代表的な名所として存続している。1934年昭和9年)に国の史跡に指定、1994年平成6年)12月には「古都京都の文化財」の構成資産として世界文化遺産の一つに登録された。
寺号

この寺には「東寺」および「教王護国寺」という2つの名称があり、百科事典等でも東寺を見出し語とするものと教王護国寺を見出し語とするものがある[1]。さらに正式名として「金光明四天王教王護国寺秘密伝法院」と「弥勒八幡山総持普賢院」の2つの名称がある[2]。宗教法人としての登録名は「教王護国寺」である。

「教王」とは王を教化するとの意味であり、教王護国寺という名称には、鎮護国家の密教寺院という意味合いが込められている。宗教法人としての名称が教王護国寺であるため、寺内にある建造物の国宝・重要文化財を指定する『官報』告示の名称は「教王護国寺五重塔」等となっている。ただし、「東寺」も単なる通称・俗称ではなく、創建当時から使用されてきた歴史的名称である。平安時代以降近世まで、公式の文書・記録等には原則として「東寺」という表記が用いられ、それが正式名称であり、「教王護国寺」という呼称は特殊な場合以外には用いられなかった[3]。平安時代の公式の記録や信頼できる文書類には「教王護国寺」という名称は一切見えず、すべて「東寺」である[4]。正式の文書における「教王護国寺」の初出は仁治元年(1240年)である[5]。国宝に指定されている後宇多天皇宸翰『東寺興隆条々事書』(延慶8年(1308年))、後宇多天皇宸翰『庄園敷地施入状』、豊臣秀吉が2,030知行を認めた天正19年(1591年)の朱印状など、寺の歴史に関わる最重要文書にも明確に「東寺」と表記されている。現代においても、南大門前の石柱には「真言宗総本山 東寺」とあり、南大門、北大門、慶賀門などに掲げられた寺名入りの提灯には「東寺」とあり、宝物館の名称を「東寺宝物館」とするなど、寺側でも通常は東寺の呼称を使用している。

本項では以下、「東寺」の表記を用いる。
歴史

8世紀末、平安京の正門にあたる羅城門の東西に「東寺」と「西寺[注 1] という2つの寺院の建立が計画された。これら2つの寺院は、それぞれ平安京の左京と右京を守る王城鎮護の寺、さらには東国と西国とを守る国家鎮護の寺という意味合いを持った官立寺院であった。

南北朝時代に成立した、東寺の記録書『東宝記』によれば、東寺は平安京遷都後まもない延暦15年(796年)、藤原伊勢人が造寺長官(建設工事責任者)となって建立したという。藤原伊勢人については、公式の史書や系譜にはその名が見えないことから、実在を疑問視する向きもあるが、東寺では古くからこの延暦15年(796年)を創建の年としている。それから二十数年後の弘仁14年(823年)、真言宗の宗祖である空海(弘法大師)は、嵯峨天皇から東寺を下賜され、真言密教の根本道場としたと『弘法大師二十五箇条遺告』(御遺告)[注 2]に記されている[6]。この時から東寺は国家鎮護の官寺であるととも真言密教の根本道場となった。

東寺は平安時代後期には一時期衰退するが、鎌倉時代からは弘法大師信仰の高まりとともに「お大師様の寺」として、皇族から庶民まで広く信仰を集めるようになる。中でも空海に深く帰依したのは後白河法皇の皇女である宣陽門院であった。宣陽門院は霊夢のお告げに従い、東寺に莫大な荘園を寄進した。また、「生身供」(しょうじんく、空海が今も生きているがごとく、毎朝食事を捧げる儀式)や「御影供」(みえく、毎月21日の空海の命日に供養を行う)などの儀式を創始したのも宣陽門院であった。空海(弘法大師)が今も生きているがごとく朝食を捧げる「生身供」の儀式は、21世紀の今日も毎日早朝6時から東寺の西院御影堂で行われており、善男善女が参列している。また、毎月21日の御影供の日には東寺境内に骨董市が立ち「弘法市」「弘法さん」として親しまれている。

中世以後の東寺は後宇多天皇後醍醐天皇足利尊氏など、多くの貴顕や為政者の援助を受けて栄えた。文明18年(1486年)に発生した土一揆のために金堂や講堂、南大門などの主要堂塔のほとんどが焼失したが、延徳3年(1491年)には講堂が再建されている。

天正19年(1591年)、豊臣秀吉により2,030石の知行が認められている。また、金堂は慶長8年(1603年)に豊臣秀頼の寄進により、片桐且元を奉行として再建されている。


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