東大寺献物帳
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『国家珍宝帳』冒頭

東大寺献物帳(とうだいじけんもつちょう)は聖武天皇の菩提を弔うなどの目的で光明皇后(当時は皇太后)が東大寺に奉献した宝物の目録である。東大寺献物帳は5通あり、それぞれ『国家珍宝帳』『種々薬帳』『屏風花氈等帳』『大小王真跡帳』『藤原公真跡屏風帳』と通称される[1]。東大寺献物帳は単なる目録に留まらず、正倉院宝物の来歴や用いられた技法などを記した貴重な記録であり、またそれ自体が宝物である[2]
概要 正倉院正倉 右手が北倉

天平勝宝8歳(756年)6月21日に聖武天皇の七七忌の法要を興福寺で執り行い、聖武天皇所縁の宝物を東大寺以下18ヵ寺に献納した。このうち東大寺盧舎那仏に献納した宝物の目録が『国家珍宝帳』で、同時に納めた朝廷の高貴薬の目録が『種々薬帳』である[3]。さらに、なおも手元に残っていた宝物を同年7月17日の勅により再調査し、それを同年7月26日に追加奉納した。この目録が『屏風花氈等帳』である[4]

聖武天皇の崩御からおよそ2年たった天平宝字2年(758年)6月1日には、書一巻が目録『大小王真跡帳』と共に献納され[5]、同年10月1日にはさらに屏風2帖と目録『藤原公真跡屏風帳』が献納された[6]。この2点については他の献納とやや趣が異なるとされ[7]、「先帝の玩好」「妾の珍財」と記されていることから一対の献納とする説もある[8]

以上の目録が東大寺献物帳であるが、記載された宝物の総数は七百数十点にのぼり、東大寺献物帳と共に正倉院の北倉に納められていた。また、後世に正倉院に納められた宝物と区別して東大寺献物帳に記載された宝物を「帳内御物」と呼ぶ[9]。正倉院宝物と東大寺献物帳は実物と記録が揃って現存している稀有な例であり、東大寺献物帳が宝物の歴史的・文化的な価値を高めていると言える[10]
総論
名称について

『東大寺献物帳』という名称は、『国家珍宝帳』と『屏風花氈等帳』に記された外題に依っているが、他の3通にはそのような記載はない。しかし、
『種々薬帳』は『国家珍宝帳』と同日に作成され署名者も同一であることから一組であると考えられ、『大小王真跡帳』と『藤原公真跡屏風帳』には冒頭に「献東大寺」と記されている。

延暦6年(787年)の『曝涼使解』では5通を「記書五巻」と一括して記す。

延暦6年(787年)の『東大寺使解』では「宝物の点検で疑問があれば献物帳を確認すること」と記したうえで、点検された宝物が東大寺献物帳の記載と一致する。

以上などから、5通を一括して東大寺献物帳としている[1]

また、各文書の通称は大正時代に作成された『正倉院御物目録』に記載されたもの[11]で、宝物番号などとの対応表は下記のようになる[1]

通称正倉院宝物番号別名延暦6年『曝涼使解』記載の名称
国家珍宝帳北倉158天平勝宝八歳六月二十一日献物帳珍宝記
種々薬帳種々薬記
屏風花氈等帳北倉159天平勝宝八歳七月二十六日献物帳書屏風并氈等記
大小王真跡帳北倉160天平宝字二年六月一日献物帳大小王真跡記
藤原公真跡屏風帳北倉161天平宝字二年十月一日献物帳書屏風記

献納事業の経緯

献納事業については『東大寺献物帳』に『法隆寺献物帳[注釈 1]を加えた6通の献物帳にある文面などから様々な考察が行われている。

まず、献納事業は『法隆寺献物帳』にある「金光明寺[注釈 2]等十八寺」の文言から同事業が東大寺以下18ヵ寺に行われたことがわかる。しかし『法隆寺献物帳』に「7月8日の勅令により」とあることから、5通ある東大寺献物帳のいずれがこれに該当するかについて説が分かれている[12][13][14]
『国家珍宝帳』と『法隆寺献物帳』の願文、署名者、筆跡に共通点が多く、一連の作業で作られたとする説

7月8日勅での献納には、それ以前に献納されている『国家珍宝帳』(6月21日献納)は該当せず、法隆寺と同時に献納が行われたのは『屏風花氈等帳』であるとする説

『屏風花氈等帳』は「7月17日の勅により」と書かれていることからこれも該当せず、金光明寺は東大寺と別寺院とする説

なお献物帳が残されている東大寺と法隆寺以外で献納が行われた寺は、弘福寺の資財帳にある「御帯等施入勅書一巻勝宝八年」の記載が該当すると指摘されるのみで他は不明である[15]

次に献納事業の主体が誰であったかについてである。献納事業が光明皇后の強い意向のもとで行われたことは『国家珍宝帳』に「皇太后御製」とあることから疑いはない[16]。和田軍一は献納の動機について「光明皇后の個人的な愛情に発するところが大きく、先帝の冥福の祈願とご遺品の永久保存にあった」としている[17]。しかし『屏風花氈等帳』『大小王真跡帳』『法隆寺献物帳』にある「勅」の解釈については議論がある[18][19]
勅を下せたのは天皇のみであるから『屏風花氈等帳』『大小王真跡帳』『法隆寺献物帳』の事業主体は孝謙天皇で、それ以外は光明皇后とする説


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