東大井
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .pathnavbox{clear:both;border:1px outset #eef;padding:0.3em 0.6em;margin:0 0 0.5em 0;background-color:#eef;font-size:90%}.mw-parser-output .pathnavbox ul{list-style:none none;margin-top:0;margin-bottom:0}.mw-parser-output .pathnavbox>ul{margin:0}.mw-parser-output .pathnavbox ul li{margin:0}日本 > 東京都 > 品川区 > 東大井

東大井
町丁
東大井遠景
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度36分18秒 東経139度44分32秒 / 北緯35.604972度 東経139.742236度 / 35.604972; 139.742236
座標位置:鮫洲駅付近
日本
都道府県 東京
特別区 品川区
地域大井地域

人口情報(2023年(令和5年)1月1日現在[1]
 人口23,329 人
 世帯数13,065 世帯

面積[2]
 0.995977332 km²
人口密度23423.22 人/km²
郵便番号140-0011[3]
市外局番03(東京MA[4]
ナンバープレート品川
ウィキポータル 日本の町・字
ウィキポータル 東京都
ウィキプロジェクト 日本の町・字
テンプレートを表示

東大井(ひがしおおい)は、東京都品川区の地名。現行行政地名は東大井一丁目から東大井六丁目。住居表示実施済区域。
地理勝島運河

品川区の南東部に位置する。北辺は東京都道420号鮫洲大山線に接し、これを境に南品川東品川にそれぞれ接する。東辺は京浜運河に接し、これを境に八潮に接する。南東は勝島運河に接し、これを境に勝島に接する。南辺は立会川に接し、これを境に南大井に接する。西辺はJR東海道本線などの線路に接し、これを境に広町大井にそれぞれ接する(いずれの地名も品川区)。

地内中央付近を南北に第一京浜が、東部の東大井一丁目付近を南北に海岸通り首都高速1号羽田線が通っている。五丁目内には池上通りが通っている。

また、京急本線が第一京浜と並行して走っており、鮫洲駅立会川駅が設置されている。両駅付近には旧東海道が通っている。また、北西端にはJR東日本東急電鉄大井町駅が設置されている。

東部の京浜運河・勝島運河沿い(東大井一丁目と二丁目付近)には、工業用地として倉庫や諸施設などが見られる。北西部の東大井五丁目は大井町駅の東口に当たり、駅前には各種商店やビルなどが多く、大井町駅周辺は品川区でも有数の商業地となっている。その他の地域は主に住宅地となっている。
地価

住宅地の地価は、2023年令和5年)1月1日公示地価によれば、東大井2-25-10の地点で69万2000円/m2となっている[5]
歴史立会川駅前商店街と龍馬像復元された浜川砲台の大砲

江戸時代、現在の品川区立浜川中学校(東大井三丁目)の辺りに土佐藩下屋敷があった[6]幕末の1853年にマシュー・ペリー率いるアメリカ艦隊(黒船)が浦賀に来航したため、幕府は土佐藩を含む各地の大名に対して警備命令を出し、当地にも土佐藩管轄の浜川砲台が設置された。砲台の存在は近年まで明らかではなかったが、2004年、勝島運河付近の宅地造成工事の際に発見された。

黒船来航時に坂本龍馬が土佐藩から沿岸警備の命令を受けて当地に着任していたと伝えられていることから、浜川砲台跡地発見後に龍馬の故郷である高知県から龍馬の立像が贈られ、立会川駅前(東大井二丁目)に設置された[7]。2015年11月には、浜川砲台の大砲が勝島運河に近い新浜川公園(東大井二丁目)に実物大で復元された[8]

江戸時代には土佐藩の下屋敷の他にも現在の東大井四丁目に仙台藩と越前鯖江藩の下屋敷が[9]、東大井六丁目に薩摩藩の抱屋敷があった[10]。仙台藩の下屋敷(現在の仙台坂トンネルの南側)では藩士のために仙台味噌が生産され、2017年現在も下屋敷跡の「仙台味噌醸造所」で生産・販売が行われている[11]
住居表示実施前後の町名の変遷

実施後実施前
東大井一丁目大井鮫洲町の大部分、大井林町の一部
東大井二丁目大井鮫洲町の一部、大井元芝町の一部、大井北浜川町の東半分
東大井三丁目大井元芝町の大部分、大井北浜川町の西半分、大井関ガ原町の一部
東大井四丁目大井林町の大部分
東大井五丁目大井立会町の大部分
東大井六丁目大井関ガ原町の大部分

世帯数と人口

2023年(令和5年)1月1日現在(東京都発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]

丁目世帯数人口
東大井一丁目3,061世帯6,231人
東大井二丁目2,520世帯4,252人
東大井三丁目2,778世帯4,681人
東大井四丁目1,292世帯2,469人
東大井五丁目2,394世帯4,027人
東大井六丁目1,020世帯1,669人
計13,065世帯23,329人

人口の変遷

国勢調査による人口の推移。

人口推移年人口
1995年(平成7年)[12]16,922
2000年(平成12年)[13]16,985
2005年(平成17年)[14]19,217
2010年(平成22年)[15]20,695
2015年(平成27年)[16]22,938
2020年(令和2年)[17]24,282

世帯数の変遷

国勢調査による世帯数の推移。

世帯数推移年世帯数
1995年(平成7年)[12]8,204
2000年(平成12年)[13]8,801
2005年(平成17年)[14]10,213


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:36 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef