東呉大学
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東呉大学東?大學
モットー養天地正気 法古今完人
(Unto A Full Grown Man)
種別私立
設立年Founded 1900,
"Reactivated" 1951
学長
潘維大 (2012.4-)
教員数448 full-time, 747 part-time
学部生12,000
大学院生1,100
所在地 中華民国台北市士林区
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯25度05分40秒 東経121度32分47秒 / 北緯25.09446度 東経121.54625度 / 25.09446; 121.54625座標: 北緯25度05分40秒 東経121度32分47秒 / 北緯25.09446度 東経121.54625度 / 25.09446; 121.54625
キャンパス37.5 acres (0.152 km2)
マスコットNone
ACUCA
公式サイト ⇒http://www.scu.edu.tw/
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東呉大学(とうごだいがく、Soochow University)は、台湾台北市にある私立博・修士大学院型重点化総合大学1900年にキリスト教会監理会(メソジスト派)により蘇州にて建校され、1954年に台湾で復校された。中国で創立した当時、米国の大学評議会に英語名で「Central Univresity of China(=中央大学)」で登録され、その後「Soochow University(=蘇州大学)」に改名。中国語では一貫「東呉大学」としてきた。

1949年中国国民党が台湾に敗退した際に、東呉大学は同時に移転せずに蘇州に残った。1951年より台湾で大陸系大学の「復校運動」が始まり、1954年に先ずは法学院が再建、1969年に大学学制の下私立大学としての新生東呉大学として復校された。
キャンパス外双渓キャンパス城中キャンパス

外双渓キャンパス(大学本部、外語学院、文学院、理学院)国立故宮博物院手前の緑豊かなキャンパス。2008年春から第一教学研究大樓と第二教学研究大樓が完成した。MRT士林駅からバスで10分(東呉大学下車)、バス停から徒歩約5分。

城中キャンパス(法学院、商学院、社会人教育センター)台湾総統府司法院から徒歩1分。

略歴

現在では文学、理学、法学、商学、外語学院の5学院22系を擁する総合大学であり、特に法学院は歴史が古く、知名度が高い。法律学科は司法試験で常時台湾のトップ3を争う。会計学科は公認会計士の試験で、台湾のトップ3に入る。日本語文学科は日本語教師養成で有名、台湾各大学の日本語教員,日系企業大手の商社、銀行、メディアなどに多くの人材を送り出している。近年、リベラルな政治学科の教員がテレビ評論などで活躍している。音楽学科は台湾の私学では最高峰。2005-2008年、教育部が発表した「教學卓越計畫」に選定され日本円で約15億円の補助を獲得。

中国各地の大学とも交流が盛ん。中国文学科や、歴史学科などは中国の名門大学からの客員教授が多数、教壇に立っている。

日本台湾交流協会は東呉大学を台湾の7名門大学の1校に紹介しました。[1]
沿革

中国大陸時期

年月 日事跡
1879年-米国キリスト教会により蘇州に於いて蘇州創弁博習書院、宮巷書院、中西書院(上海)を設立。
1900年12月15日3書院を合併し大学を設置『東呉大学校董会章程』を策定
1901年3月「東呉大学堂」として開校
1901年6月24日英語名称をCentral University of Chinaと定める
1903年-学術雑誌『雁來紅』創刊
1904年-医学部を設置、本楼校舎竣工
1906年-『東呉学報』創刊
1908年7月28日英語名称をSoochow Universityと変更
1910年-神学科を設置
1912年-蘇州、上海及び湖州の3中学を東呉第一、第二及び第三中学とする。医科及び神学科を廃止。医学予科課程を設置
1920年-キリスト教青年会全国協会と協力し蘇州本校に体育専修科を設置
1927年-文理と法科を文理学部及び法律学部に分離
1928年-女子の募集を開始
1927年-「私立東呉大学」と改称
1937年-法学部に会計学科を設置日中戦争の影響により上海湖州に避難
1941年12月7日上海租界の法学部を中国比較法学部と改称
1943年-重慶の法学部と滬江大学を統合し聨合商法学院を組織
1945年-日本の敗戦により蘇州にて「東呉大学」が復校
1949年-中国共産党軍の侵攻により外国人講師が国外避難
1951年-中国共産党による大学改編、事実上の廃校

1. 1879年、米国キリスト教会により蘇州に於いて蘇州創弁博習書院 (Buffington Institute)、宮巷書院 (Kung Hang School) を、また上海に中西書院 (Anglo-Chinese College) を設立。

2. 1951年、中国共産党による大学改編が行われる東呉法学院を華東政法学院、会計系を上海財経学院、文学院を蘇南師範学院(後の江蘇師範学院)へ改編、事実上の廃校。現在の蘇州大学のキャンパスは当時の東呉大学のものであった。

蘇州時代(1900-1949)著名な出身者




?緯国-(蘇州時代に卒業)元三軍大学学長聯合後勤司令部後方支援司令部)総司令。総統府顧問相

倪征燠-(蘇州時代に卒業)国際法権威。元国際司法裁判所裁判官

楊鉄?-(蘇州時代に卒業)元香港終審法院院長。香港の政治家。

金庸-(蘇州時代に卒業)中国小説家で、香港の『明報』とシンガポールの『新明日報』の創刊者。武侠小説を代表する作家。

周宏濤-元台湾銀行常務取締役

謝東閔-元中華民国副総統、台北実踐大学の創立人。



台湾時期

年月 日事跡
1951年--'国共内戦後、一部の教授は台湾に移り、台北に東呉大学を設置している。 台湾で「東呉補習学校」を設立する'
1954年7月29日「私立東呉大学法学院」を台北にて復校
1956年-中国文学部を設置
1961年-現所在地の外双渓にキャンパスを移転
1968年7月15日「東呉大学」に改称
1970年-理学部を設置
1971年-中国文化研修コースを設置し、外国人への外国語教育を開始
1972年-日本語文学科設立
1974年-中国文学研究所を設置
2008年-外双渓キャンパスの第一教学研究大樓と第二教学研究大樓竣工
2008年5月20日学長劉兆玄が行政院長に就任

歴代学長

代氏名任期
初代石超庸1957年?1968年
第2代桂崇基1968年?1969年
第3代端木ト1969年?1983年
第4代楊其銑1983年?1992年
第5代章孝慈1992年?1995年
第6代劉源俊1996年?2004年
第7代劉兆玄2004年?2008年
第8代黄鎮台2008年?


教員数 447人。

教授 121人、副教授 170人、助理教授 56人、講師 75人。
組織

研究所で取得できる学位としては、修士、博士などがある。




人文と社会科学部

中文学科/研究所

歴史学科系/研究所

哲学学科/研究所

中国哲学資料室

哲学教学と研究室


政治学科/研究所

比較政治專攻

政治哲学專攻

国際政治專攻

公共行政專攻

欧州連合研究センター

全球化(グローバリゼーション)研究センター

国会研究センター

国際連合研究センター


社会学科/研究所

社会事業学科/研究所

音楽学科/研究所

鋼琴專攻

管楽專攻

弦楽專攻

声楽專攻

作曲專攻

打楽專攻


教育学科

人権専攻課程と研究科

芸術と美学研究室

人文社会研究室



外国語文学部

英文学科/研究所

日本語文学科/研究所

ドイツ文化科(独語文と文化)/研究所

言語センター



理学部

数学科/研究所

物理学科

物理実験室

普物実験室


化学科/研究所

微生物学科/研究所

心理学科/研究所

法医学専攻課程

緑科学と持続可能な開発専攻課程(環境学環境教育課程)


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