東千石町
町丁
天文館交差点より城山方面のアーケードを望む
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯31度35分31秒 東経130度33分12秒 / 北緯31.591972度 東経130.553278度 / 31.591972; 130.553278座標: 北緯31度35分31秒 東経130度33分12秒 / 北緯31.591972度 東経130.553278度 / 31.591972; 130.553278
国 日本
都道府県 鹿児島県
市町村 鹿児島市
地域中央地域
地区中央地区
人口情報(2020年(令和2年)10月1日現在)
人口733 人
世帯数466 世帯
郵便番号892-0842
市外局番099
ナンバープレート鹿児島
運輸局住所コード[2]46500-0329
ウィキポータル 日本の町・字
ウィキポータル 鹿児島県
ウィキプロジェクト 日本の町・字
テンプレートを表示
東千石町(ひがしせんごくちょう[3])は、鹿児島県鹿児島市の町[4]。旧薩摩国鹿児島郡鹿児島城下東千石馬場町、鹿児島市東千石馬場町。郵便番号は892-0842。人口は733人、世帯数は466世帯(2020年10月1日現在)[5]。東千石町の全域で住居表示を実施している。 鹿児島市の中央部、甲突川下流域に位置している。町域の北方には照国町、南方には山之口町、西方には西千石町、千日町、東方には中町がそれぞれ接している。 北端には鹿児島県道24号鹿児島東市来線(千石馬場通り)が通っており、南端には鹿児島県道21号鹿児島中央停車場線及び鹿児島市電が通っており、町域内には天文館通電停が所在している。 中町や金生町などとともに、天文館の一部を形成しており、照国町交差点より天文館交差点、国道225号の御着屋交差点から天神馬場通りがアーケード通りとなっている。 東千石町という町名は、江戸時代に「千石取り」以上の武士が居住する武家屋敷があった地域を千石と呼び、鹿児島城(鶴丸城)を中心として千石の東方に分けたことに由来する[6]。 江戸時代は鹿児島城下の士屋敷であり、主に上級武士の住居地域であった[4]。また町内には御着屋と呼ばれる他国使者等を接待する客舎があった。また御着屋は米などの食料を調える場所でもあった[7]。 明治初期より東千石馬場町と称していた[4]。 1888年(明治21年)に公布された市制(明治21年法律第1号)に基づき、1889年(明治22年)2月2日に官報に掲載された「 市制施行地 1910年(明治43年)の「鹿児島案内記」によると、当該区域は商業の中心としてにぎわいを見せていると記されており、現在も天文館の一部を構成している[4]。 1962年(昭和37年)に住居表示に関する法律が施行されたのに伴い、鹿児島市は鹿児島市街地域の住居表示に着手した[10]。1965年(昭和40年)には中央地区で住居表示実施に伴い町の再編が行われ、東千石町の全域で住居表示が実施された[11][10]。 統計年次〔年〕世帯数〔世帯〕総人口〔人〕備考 以下の表は国勢調査による小地域集計が開始された1995年以降の人口の推移である。 人口推移年人口
地理
町名の由来
歴史
成立から市制施行まで
市制施行以後
人口
資料統計
明治10年代982-[4]
1908年(明治41年)4822,130[4]
1922年(大正11年)4862,130[4]
1935年(昭和10年)5053,405[4]
国勢調査
1995年(平成7年)[12]878
2000年(平成12年)[13]842
2005年(平成17年)[14]691
2010年(平成22年)[15]814
Size:60 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
担当:undef