東北鎮台(とうほくちんだい)は、1871年から1873年まで、日本の仙台県(1872年から宮城県)の仙台に置かれた大日本帝国陸軍の部隊である。全国に配置された鎮台の一つで、1873年に仙台鎮台と改称した。 東北鎮台は、石巻に設置することが決められた東山道鎮台の後継で、廃藩置県を受けて設置された4つの鎮台の1つである。他の3つは東京鎮台・大阪鎮台・鎮西鎮台である。 兵部省は東北鎮台の本営を石巻、当分は仙台に置くと定めたが、石巻への移転は実現せずに終わった。1871年(明治4年)11月1日に仙台の国分町にあった外人屋[1]に仮の本営を置き、12日に仙台城二の丸に移った[2]。 この時期の鎮台の兵士は士族の中の志願者から採用した壮兵
解説
1872年(明治5年)3月12日に東北鎮台条例が制定され、翌日に布達された。条文は、首都の特例を持つ東京鎮台を除き、同時に制定された他の鎮台のための条例と同じである。鎮台は師が率い、参謀副官が補佐した[5]。
1873年(明治6年)に徴兵制にもとづき従来の4鎮台を6鎮台に再編成したとき、東北鎮台は羽前国も管区とする仙台鎮台に改組した[6]。 現在の県域で言うと、東北6県のうち山形県を除く地域にあたる。
管区
仙台本営 - 磐城国・岩代国・陸前国・陸中国
弘前分営 - 陸奥国・羽後国
司令長官
(欠員):明治4年8月8日 - 明治5年3月23日
三好重臣 大佐:明治5年3月23日 - 明治6年1月9日
脚注[脚注の使い方]^ 宿場町におかれる本陣を仙台では外人屋といった。
^ 『仙台市史』第2巻(本編2)648頁。
^ 加藤宏「第二師団と仙台」、『北の軍都と軍隊」16頁。
^ 『宮城県史』7巻457頁。『仙台市史』通史編6(近代1)49頁。ただし、『仙台市史』第2巻(本編2)647-648頁は久保田藩兵が弘前に駐屯したと記す。
^ 国立公文書館アーカイブ「東京大坂鎮西東北鎮台条例」。『宮城県史』7巻457-458頁。
^ 『仙台市史』通史編6(近代1)49頁。
参考文献
「 ⇒東京大坂鎮西東北鎮台条例」『太政類典
加藤宏「第二師団と仙台」、山本和重編『北の軍都と軍隊』(「地域の中の軍隊」第1巻 北海道・東北)、吉川弘文堂、2015年。
仙台市史編纂委員会『仙台市史』第2巻(本編2)、仙台市役所、1955年。
仙台市史編さん委員会『仙台市史』通史編6(近代1)、仙台市、2009年。
南部昌士「兵事」、宮城県史編纂委員会『宮城県史』第7巻、ぎょうせい、復刻版1987年。初版は宮城県史刊行会により1960年。
森松俊夫『図説陸軍史』、建帛社、1991年、ISBN 4-7679-8508-0。