東北学院榴ケ岡高等学校
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯38度19分36.5秒 東経140度53分54.9秒 / 北緯38.326806度 東経140.898583度 / 38.326806; 140.898583
東北学院榴ケ岡高等学校(とうほくがくいんつつじがおかこうとうがっこう)は、宮城県仙台市泉区天神沢二丁目にある男女共学の私立高等学校。通称は「学院榴ケ岡」(がくいんつつじがおか)、「榴ケ岡」(つつじがおか)、宮城県内では「榴」(つつじ)と呼ばれることが多い。
キリスト教(プロテスタント、福音主義:日本基督教団)系の学校(キリスト教主義学校、ミッションスクール)である。学校法人東北学院によって設置され、東北学院大学・東北学院中高の系列校である。
元々は、東北学院高等学校の榴ケ岡校舎という位置づけだったが、1972年(昭和47年)に独立した。
以前は男子校であったが、1995年(平成7年)に男女共学に移行し、今日に至る。 仙台市北東部、泉区天神沢の東北学院大学泉キャンパス内に位置する私立高等学校(普通科)である。校名である榴ケ岡は、榴岡公園の一角に前身の東北学院高等学校榴ケ岡校舎が設置されたことに由来し、「由来を忘れないように」という願いと、当時の在校生や卒業生から「愛着がある『榴ケ岡』という校名を残してほしい」という声から、榴ケ岡高校として独立後もそのまま使用している。 校地については、2025年4月までに東北学院大学泉キャンパスに移転する予定である(同大学の機能は2023年4月に五橋キャンパスに集約済)[1]。 学校の標語は東北学院高等学校と同じく、D・B・シュネーダーが制定した「LIFE LIGHT LOVE」(聖書より取られた、略して3L精神)である。また、スクールカラーは「スカイブルー(空色)」である。制服が存在せず、私服で自由な校風であり「自学自律」を教育目標としている。なお、元々は男子校であったことが影響して、男女比は7:3程度である(年度によって異なるが、理系クラスの中で男子クラスが存在する場合もある)。 キャンパス内に礼拝堂があり、キリスト教教育の一環として、毎朝全生徒が集まって賛美歌・聖書朗読などからなる礼拝をおこなっている[2]。年間の行事として、イースター、創立記念、ペンテコステ、クリスマスなどで礼拝がある[2]。 少人数教育からスタートしたため、ほかの東北学院(大学・中高)に比べると設備が小さかったが、老朽化や生徒の増加に伴って学校施設の増改築が徐々に行われ、複雑な校舎配置になっている。 男子校時代には特に学習面においてスパルタ教育の方針が強かった。そのことが大学進学実績に貢献し、旧男子校のナンバースクール(進学校クラス)の滑り止めとしての地位を保っていたが、男女共学化された現在では、中堅校?準進学校クラスの滑り止めとなっている。また一定程度、推薦制度を利用して本校に第一志望で入学する者も存在する。間違われがちであるが、校名は地名の「榴"ヶ"岡」ではなく「榴"ケ"岡」である。 本校のカリキュラムは、「特別進学コース」(難関大学進学を目指すコース)と「TG選抜コース」(東北学院大学へ進学を目指すコース)と「総合進学コース」(国公立・私立大学へ進学を目指すコース)の三つのコース制である。なお、2018年度より外部講師による課外授業を開講(『校内予備校』)している。 (沿革節の主要な出典[3][4])
概要
沿革
1886年(明治19年) - 押川方義・W.E.ホーイが仙台市木町通りに仙台神学校を創立。
1891年 (明治24年)- 仙台神学校を東北学院に改称。
1948年(昭和23年) - 学制改革により新制高等学校となる。
1959年(昭和34年) - 東北学院高等学校榴ケ岡校舎を仙台市榴ケ岡に設置。
1972年(昭和47年) - 4月、東北学院榴ケ岡高等学校として独立、8月、泉市市名坂(当時の住所、現在地)に校舎が完成し移転、12月、体育館完成。
1979年(昭和54年)- 5月、校章制定。