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主要地方道
東京都道2号東京丸子横浜線
神奈川県道2号東京丸子横浜線
地図
東京都道・神奈川県道2号東京丸子横浜線(とうきょうとどう・かながわけんどう2ごう とうきょうまるこよこはません)は、東京都品川区西五反田から神奈川県横浜市神奈川区に至る主要地方道である。丸子橋交差点を境にして、五反田方面を中原街道、綱島方面を綱島街道と通称される。 現在の洗足付近から丸子橋付近までと綱島付近から港北区篠原付近までは、鎌倉時代に造られた鎌倉街道下の道の一部を原形としている[4]。 室町時代から江戸時代初期、後北条氏の本城である小田原城と支城である江戸城とを結ぶ中原街道が造られ、その後徳川家康により整備された。 1920年(大正9年)4月1日、「東京府告示第百六十二號」(府縣道ノ認定)、および「神奈川縣告示第百二十二號」(府縣道ノ認定)により、東京府道19号下大崎川和線、神奈川県道都田下大崎線(この内、中原口から丸子橋までが相当)、および神奈川県道神奈川溝ノ口線(この内、綱島から菊名までが相当)が指定された。その後、京浜国道の六郷橋と府県道東京厚木線の二子橋との間に橋がなかったことや、京浜国道の交通飽和を緩和することなどが急務になったことから丸子橋が架設されることになり[5]、1935年(昭和10年)5月11日に初代の橋が開通した。 1936年(昭和11年)9月25日、「内務省告示第五百十六號」(指定府縣道竝指定地方費道)により、東京府道5号東京神奈川線、および神奈川県道8号神奈川上丸子線に指定された。なお、菊名以南は、現在の旧綱島街道と六角橋から神奈川区役所を経て国道15号の滝の橋付近に至る道路である[6]。 1954年(昭和29年)1月20日、建設省(現・国土交通省)が「告示第十六号」(主要な都道府県道及び市道)により主要地方道五反田丸子東神奈川線として、翌1955年(昭和30年)3月4日には「神奈川県告示第百三十六号」により神奈川県主要地方道東京丸子横浜線として、同年12月15日には「東京都告示第千五十八号」により東京都主要地方道東京丸子横浜線として指定された。 1993年(平成5年)5月11日、「建設省告示第千二百七十号」(道路法第五十六条の規定に基づく主要な都道府県道及び市道)により、現在の東京都道・神奈川県道2号東京丸子横浜線を主要地方道に再認定された[7]。 通称名は、川崎市中原区の丸子橋交差点から、主に東京都内になる北側が「中原街道」、神奈川県内になる南側が「綱島街道」となっている。なお、同交差点から西方向(横浜市緑区中山町・神奈川県茅ヶ崎市方面)へ分岐する神奈川県道45号丸子中山茅ヶ崎線も、川崎市内および横浜市内の区間が「中原街道」と通称されている。その由来については中原街道に詳しい。 平成27年(2015年)度時点での、道路交通センサスによる東京丸子横浜線の各観測地点での交通量はそれぞれ以下の通りである。(いずれも12h計) 観測地点自動車類大型車台数(上下合計)自動車類小型車台数(上下合計)二輪車類自転車類歩行者類車道部幅員上り歩道幅員下り歩道幅員車線数指定最高速度
概要
起点:東京都品川区西五反田(大崎広小路交差点)
終点:神奈川県横浜市神奈川区浦島丘(浦島丘交差点)
路線延長
東京都区間 7,210 m(実延長、2013年4月1日現在)[1]
川崎市区間 3,276 m(実延長、2013年4月1日現在)[2]
横浜市区間 9,540 m(実延長、2014年4月1日現在)[3]
Google マップ
歴史
路線状況
通称
中原街道(東京都品川区・中原口交差点 - 神奈川県川崎市中原区・丸子橋交差点)
綱島街道(神奈川県川崎市中原区・丸子橋交差点 - 横浜市神奈川区・浦島丘交差点)
重複区間
神奈川県道・東京都道140号川崎町田線(横浜市港北区・大綱橋交差点 - 樽町交差点)
道路施設
丸子橋(多摩川)
大綱橋
都市計画路線名
放射2号線(東京都品川区):当道の西五反田七丁目から荏原二丁目までの区間。延長1,255 m。事業効果として、地域の防災性や交通の円滑化、都市景観の創出などが挙げられている[8]。
交通データ