東京都第15区
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旧東京府・東京市の都心15区「東京15区」とは異なります。

東京都第15区

行政区域江東区
(2024年1月1日現在)
比例区東京ブロック
設置年1994年
選出議員酒井菜摘
有権者数43万1840人
1.904 倍(一票の格差鳥取1区との比較)
(総務省・2023年9月1日)
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東京都第15区(とうきょうとだい15く)は、日本衆議院議員総選挙における選挙区1994年平成6年)の公職選挙法改正で設置。
区域

1994年平成6年公職選挙法改正以降の区域は以下のとおりである[1][2]。小選挙区比例代表並立制が導入されて以来、2017年以降も東京都区部では唯一単一の特別区で構成される選挙区だったが、2022年の公選法改正により、東京17区葛飾区)も同様となったため、唯一ではなくなった。

江東区

歴史

第41回衆議院議員総選挙1996年

自民党柿澤弘治参議院議員からの転身を目指した新進党黒柳明らを破り当選。


第41回衆議院議員補欠選挙1999年

柿澤の都知事選立候補へ向けての議員辞職に伴い実施。東京都議会議員であった自民党の木村勉が当選。


第42回衆議院議員総選挙2000年

元職の柿澤が無所属で立候補し、自民党からは前職の木村勉が立候補し大接戦となったが、およそ1,500票差で柿澤が競り勝った。また、自由党から立候補していた前職・東祥三(第41回は新進党から比例東京ブロック単独候補で当選)が比例復活当選している。


第43回衆議院議員総選挙2003年

前職・柿澤は無所属の会から立候補。民主党からは前職・東、自民党からは前回敗れた元職・木村が立候補する。

東の出身母体である(東は公明党から新進党を経て自由党に所属。その後再結成された公明党には合流せず、そのまま自由党に留まった)創価学会票が木村に流れた影響もあり、木村が当選する。


第44回衆議院議員総選挙2005年

前職・木村が連続当選。


第45回衆議院議員総選挙2009年

元職・東が初めて小選挙区で当選する。柿澤弘治の息子でみんなの党柿沢未途が比例で復活当選


第46回衆議院議員総選挙2012年

前職・柿沢が初めて小選挙区で当選。自民党の前参議院議員、秋元司は比例で復活当選。

前職・東が民主党を離党し、国民の生活が第一を経て日本未来の党から立候補、民主党はこれに対抗する形で前回比例北陸信越ブロック選出(石川2区からの復活当選)の田中美絵子が国替えする形で立候補したが、結果として共倒れする形となった。


第47回衆議院議員総選挙2014年

前回比例で当選の前職・秋元に自民党本部が安倍晋三内閣総理大臣(当時)以下総力を挙げ、支援攻勢を掛けつつ前回選挙区選出の柿沢に猛追。結いの党結党を経て維新の党となった前職・柿沢は民主党都連の推薦を取り付け、維新の党のほか民主党や無所属を含む地元区議団の支援を受けて僅差で選挙区での勝利を手にし、秋元も比例復活した。なお、直前まで同区で活動していた田中は石川県第1区に転出した。ちなみに、この選挙で選挙区投票率は前回比8ポイントも低下した。


第48回衆議院議員総選挙2017年

前職・秋元が初めて小選挙区で当選。民進党を離党し希望の党からの立候補となった前職・柿沢は党への逆風から党勢がしぼんでいき、2回続けていた小選挙区での議席を死守できず、最終的に比例で復活当選となった[3]


第49回衆議院議員総選挙2021年

前職・秋元がIR汚職事件で逮捕(その後実刑判決を受け控訴中)されたのに伴い自民党を離党。このため党都連が元職の今村洋史を公認申請したが、国民民主党新・立憲民主党の結党に参加せずに無所属になっていた前職・柿沢が首相指名選挙で岸田文雄に投票、さらに立憲との統一会派からも離脱するなど、自民党入りの動きを見せたことから[4]、党として擁立を見送り、いずれも無所属で立候補する今村と柿沢双方を推薦、当選者を追加公認する方針を採った。保守分裂という状況を受けて、立候補を模索していた秋元が立候補を取り止めている[5][6]

立憲民主党は野党統一候補として、元職の井戸正枝を当初擁立予定だった東京4区から当区に変更。柿沢に対抗する形に加え、候補一本化の協議の結果東京4区に日本共産党の候補を立てることになった事による物で、これまで当区で立候補していた吉田年男に変わり新たに擁立予定だった共産党新人の小堤東は比例に回った[7]。これらに加え日本維新の会の新人・金澤結衣が選挙戦に加わる構図となった。

最終的に7人が立候補した乱戦は、柿沢が2位の井戸に1万7000票あまりの差を付けて制し、前々回以来の小選挙区での勝利となった。これを受けて自民党は柿沢の追加公認を行った[8]。井戸と金澤はいずれも比例区との重複立候補も行っていたが、共に復活当選もなかった。


第49回衆議院議員補欠選挙2024年

柿沢は第2次岸田第2次改造内閣で法務副大臣に抜擢されたが、第20回統一地方選挙江東区長選での公職選挙法違反疑惑で辞任に追い込まれ、さらに同容疑で自宅や事務所の家宅捜索を受けたことにより自民党を離党した。その後柿沢は秘書4人とともに逮捕・起訴された(その後執行猶予付き有罪判決が確定)。この起訴に伴い、柿沢は2024年2月1日に議員辞職願を提出、本会議で許可された。辞職に伴う補欠選挙は同年4月28日投開票で行われた[9]

日本維新の会は前回落選し、次期総選挙候補に予定していた金澤結衣を擁立[10]日本保守党飯山陽[11]参政党は次期総選挙東京1区候補予定者に決定していた吉川里奈の擁立を発表した[12]

立憲民主党は元江東区議会議員で前年12月の江東区長選挙に落選した酒井菜摘を擁立[13]。共産党も同区長選では酒井を支援したことから、当初擁立予定だった小堤[14]の擁立を取り下げ、酒井の支援を表明した[15]


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