東京都立西高等学校
正門
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度41分30.9秒 東経139度36分17秒 / 北緯35.691917度 東経139.60472度 / 35.691917; 139.60472
東京都立西高等学校(とうきょうとりつ にしこうとうがっこう、英語: Tokyo Metropolitan Nishi High School)は、東京都杉並区宮前四丁目に所在する東京都立高等学校。略称は都立西、西高(にしこう)。 都立ナンバースクールの府立十中を前身とする。校則のない自由な私服校であり、学問を探究するアカデミックな校風である。 戦前から戦後にかけて、武蔵野台地のベッドタウン化を背景に進学実績も急伸し始め、1950 - 60年代のいわゆる都立高校全盛期には小石川、新宿、両国等をはじめ、都立伝統校の日比谷、戸山と並び、東京大学合格者数全国最上位校に名を成すようになった。その後、1967年の学校群制度導入により受験者が限られ志願者層も変化したことや、補習科の廃止など進学指導を自粛する動きもあり、進学実績は往時ほどには及ばなくなったが、都立高の中では戸山などと共に比較的緩やかな退潮にあった。 その後20世紀末まで、入試問題の難易度や授業カリキュラム諸々の構造・機能、制度、あるいは大学合格実績その他取り組み等も含めた広報やブランディングで都立諸高は私立諸高と比較し差別化や特色を産み出せず改革の遅れが目立つこととなるが、進学実績に限れば西高は健闘していた[1]。 2001年に進学指導重点校に指定され、2002年から自校作成問題の導入や学区撤廃等の都立高校の諸改革を経て、2024年現在まで日比谷高や都立国立高などと共に首都圏公立高校のなかで東大合格者数の上位を維持している。 高校名は当初「大宮前」をとる予定であったが、地域が狭すぎるので「東京の西」と範囲を広げたのが「西」となった経緯といわれている。また、この由来には西へ西へというパイオニア精神、西方文化、西方浄土の西をとったという説もある。
概観
沿革
1937年 - 東京府立第十中學校として青山(現在の青山北町アパート跡)で開校。
1939年 - 新校舎完成とともに現在地に移転。
1946年 - 同校校舎内で開校した府立十八中(玉泉中)を統合。
1948年 - 学制改革により東京都立第十高等學校となる。普通科を設置。
1950年 - 東京都立西高等学校と改称。男女共学開始。
1952年 - 学区合同選抜制度導入。
1967年 - 学校群制度導入、旧第三学区内で富士高校と32群を組む。
1982年 - グループ合同選抜制度導入、31グループを組む。
1994年 - 単独選抜制度へ移行。
1996年 - 校舎を全面改築。
2001年 - 日比谷高校・戸山高校・八王子東高校と共に進学指導重点校に指定。