東京都立江北高等学校
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度46分2.7秒 東経139度49分15.3秒 / 北緯35.767417度 東経139.820917度 / 35.767417; 139.820917
東京都立江北高等学校(とうきょうとりつ こうほくこうとうがっこう、英: Tokyo Metropolitan KOHOKU High School[1])は、東京都足立区西綾瀬四丁目にある東京都立高等学校。 1938年(昭和13年)に東京府立第十一中学校として東京市赤坂区に開校し、1940年(昭和15年)に現在地(当時は東京市足立区)に移転した。江北という校名は、東京下町を貫く隅田川や荒川などの川(江という字は、中国語で大きな川を意味する)の北にある学校ということから名付けられたものであり、東京市の東北部における新たな府立中学校として地域の期待が高く、周辺各地域から多くの志望者を集めた。 1950 - 60年代は第五学区で上野に次ぐ位置にあり、連年数十名を早慶に、十数名を東京大学へ輩出しており、東大への累計進学者数は100名以上に上る。学校群制度時は52群の上野・白?に次ぐ進学校であったが、その後は進学実績が低迷した。 2017年現在の足立区にある「江北」という地名と本校は無関係である(実際に足立区江北にある高校は東京都立足立西高等学校である)。 常磐線綾瀬駅は、江北中学校の関係者の熱心な陳情によって1943年(昭和18年)に開業した。戦時下にあっても他校で廃止された英語授業をやめず、戦後はたび重なる火災により創立当時の木造校舎の大半を失ったが、一日たりとも授業をやめることはなかった。創立以来の校是は「文武両道 質実剛健」。 現在は、教員公募制の実施、2006年から都の重点支援校指定、2007年から駿台予備学校と提携してオンデマンド駿台サテネットシステムが導入されるなど、進学実績上昇のために改革が進んでいる。2008年からは新入生合宿、勉強合宿、土曜授業の復活などが新たに行われた。これらの取組が評価されたこともあり、2010年度より進学指導推進校に指定されている。
概要
沿革
1938年1月22日 - 東京府立第十一中学校として東京市赤坂区に開校。
1940年4月1日 - 現在地に移転。
1941年4月1日 - 東京府立江北中学校と改称。
1943年7月1日 - 都制施行により東京都立江北中学校となる。
1948年
4月1日 - 学制改革により東京都立第十一新制高等学校となる。
4月20日 - 定時制課程を本校と蒲原分校に併設[2]。
1950年
1月28日 - 東京都立江北高等学校と改称。
4月1日 - 実質的な男女共学開始。
1951年 - 蒲原分校廃止[2]。