東京都立文京高等学校(とうきょうとりつ ぶんきょうこうとうがっこう)は、東京都豊島区西巣鴨一丁目に所在する都立高等学校。 東京市立の旧制中学校(第三東京市立中学校→東京都立豊島中学校)[注釈 1]を前身に1940年に開校した。校訓は「至誠一貫」。豊島区に所在するにもかかわらず「文京高等学校」を称するのは、新制高等学校に移行した当時、戦災のため学校が文京区内に仮寓しており、また文京区内に新校舎を建設して移転する予定があったためである[1]。文京区での新校舎建設が断念され、豊島区の旧校地に校舎を建設して移転(復帰)することとなるが、その際にはすでに都立豊島高等学校が存在していたために改名はなされなかった[1]。 キャッチフレーズは「夢を叶える通り道?努力の汗、感動の涙、僕らの本気が文京(ここ)にある?」。 近年、校内改革が急速に進んでおり、1 - 2年次に国公立大進学を重点目標とする国公立クラスが設置されている。国公立クラスは希望制で、夏期講習などの長期休業中の講習への参加が義務付けられている。また、上位の大学を目指すには時間確保が不可欠との考えから、土曜授業も隔週である。放課後には様々な大学の現役生のサポートによる自主学習室が開かれているほか、早朝や長期休業中には受験対策講座が数多く開講される。入試は都の共通問題を使用している。 部活動はバスケットボールやバレーボール、硬式野球、陸上競技などでスポーツ推薦も実施している。 入学後すぐに1泊2日の「春季セミナー合宿」と呼ばれる勉強合宿が箱根町で開かれ、勉強習慣の確立を目指す取り組みが行われる。また6月には体育祭が開催される。進路講演の機会では、ベネッセ等の外部講師による講演も行われている。文化祭は「紫雲祭」と呼ばれている。 メイングラウンドのほかにサブグラウンドもある。体育館も2つあり、更にはテニスコート、プール、call教室(コンピュータルーム)、自習室、蔵書4万冊以上の図書室を備える。 冬服は男子は紺の学ラン、女子は紺のブレザーにグレンチェックのプリーツスカートである。夏服はグレーのスラックスに襟つきシャツ、女子は冬服と同じスカートに襟つきシャツである。 女子のネクタイ、リボンは自由で、スカートからスラックスに変更も可能である。
概要
沿革
1940年4月18日 - 第三東京市立中学校として設立[2]。校地は現在地(真宗中学→養育院巣鴨分院の跡地)[2]。
1943年 - 都制実施により、東京都立豊島中学校となる[2]。
1945年 - 2度の空襲により校舎全焼[1]。一時は都立九中(現在の東京都立北園高等学校)に移転[1]。仮設校舎や小石川区関口台町小学校に生徒の一部を収容した[1]。
1946年 - 本郷区(1947年より文京区)の元町小学校に移転、全校生徒が合流[1]。なお、元町小にはほかに文京四中も同居した[1]。
1948年 - 学制改革により、東京都立文京新制高等学校となる[1]。
1950年 - 男女共学開始[1]。東京都立文京高等学校と改称。
1952年 - 学区合同選抜制度導入。
1953年 - 豊島区西巣鴨の旧校地(現在地)に移転[1]。
1967年 - 学校群制度実施(92群)。
1969年 - 学生運動が活発になり、学生の一部により教室を占拠、封鎖が行われた[3]
1982年 - 学校群制度が廃止され、グループ合同選抜制度に移行。41グループに所属する。
1989年 - 新校舎第一期工事完了、新校舎の併用開始。
1993年 - 校庭等の第二期工事完了。
1994年 - 単独選抜に移行。
2008年3月 - 定時制閉課。
学校行事
設備
部活動
運動部 - サッカー、硬式野球、バレーボール、バスケットボール、陸上競技、剣道、バドミントン、ソフトテニス、硬式テニス、卓球、ダンス、チアリーディング、水泳
文化部 - 吹奏楽、軽音楽、演劇、生物、箏曲、家庭科、美術、茶道、漫画研究、文芸、社会調査、写真
制服
アクセス
JR山手線大塚駅 徒歩7分
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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