東京都歌
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東京都歌

都歌の対象
東京都
作詞原田重久
深尾須磨子(補作)
作曲加須屋博
採用時期1947年
言語日本語
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「東京都歌」(とうきょうとか)は日本都道府県の一つ、東京都1947年昭和22年)に制定した都民歌である[1]。作詞・原田重久、補作・深尾須磨子、作曲・加須屋博、編曲・高田三郎[2]。また、内藤清五の再編曲により「行進曲 東京都」も発表されている。
解説

「東京都制定 東京都歌」
長門美保木下保
キングヴォカルアンサンブル の シングル
B面東京都制定 行進曲東京都
(指揮:内藤清伍、演奏:東京都吹奏楽団)
リリース1947年
規格SPレコード
ジャンル都道府県民歌
時間A面:2分25秒[3]
B面:2分44秒[4]
レーベルキングレコード
(N14-6693/6694)
作詞・作曲作詞:原田重久
補作:深尾須磨子
作曲:加須屋博
編曲:高田三郎

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3番まである行進曲風の歌で、1・2・3番ともに「大東京 きょうもあけゆく」で終わる[5]。作詞作曲はともに公募であり、2011年(平成23年)に東京都議会本会議の前座として歌われたことがある[6]。しかし入都式や東京都知事の新年あいさつ、東京マラソンの開会式で「君が代」は歌われるのに対し「東京都歌」は歌われなかったのを始め[7]、都のイベントや式典でも本曲が演奏される機会は少ない[8]

東京都歌の他に、1926年大正15年)に制定された「東京市歌」も準都歌的な扱いで存続している(都歌にある「大東京」という表現はこの「市歌」にも見られる)。
沿革

1943年(昭和18年)、東京都制の施行により、東京府東京市は廃止され、新制「東京都」が成立した[9]。しかし当時は太平洋戦争の最中だったため、1926年制定の「東京市歌」は存在したが「東京都」の歌を新規に作成する余裕はなかった[2]。戦争が終結した翌年の1946年(昭和21年)10月になり、ようやく都歌制定審査委員会が招集された。委員長を小宮豊隆とする同委員会はまず歌詞を全国紙で公募し、6532編の応募作より歌詞を選定したが、歌詞の内容に関しては同委員会の選定に加えてGHQ検閲も行われた[8]。歌詞の決定後、同様に曲の公募が実施され同委員会の信時潔橋本國彦を中心に曲の選考作業が行われた。同年4月に当選作が発表され、4月19日日比谷公会堂で記念演奏会が開かれた。当初は柴田睦陸が歌う予定だったが、病気のため代役として中山悌一が歌唱を披露した[2]。同年にキングレコードより発売されたシングル盤長門美保木下保の歌唱である[3]

戦後まもなく作詞作曲された東京都歌は現代に合わないので、戦後60年の節目に、元は作家である石原慎太郎東京都知事が新しい都の歌を作ってはどうか、という質問が2005年(平成17年)に都議会でなされたことがある。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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