東京都庁第一本庁舎
Tokyo Metropolitan Government Building No.1
情報
用途行政庁舎
設計者建築:丹下健三・都市・建築設計所、構造:ムトーアソシエイツ、設備:建築設備設計研究所
施工大成建設、清水建設、竹中工務店、前田建設工業、日産建設、松井建設、大木建設、小田急建設、勝村建設、東海建設、東京都建設業協同組合
東京都庁第二本庁舎
Tokyo Metropolitan Government Building No.2
情報
用途行政庁舎
主構造物東京都庁第二本庁舎
設計者建築:丹下健三・都市・建築設計所、構造:ムトーアソシエイツ、設備:建築設備設計研究所
施工鹿島建設、大林組、西松建設、住友建設、巴組鐵工所、石原建設、白石建設、新建設工業、京王建設、工新建設JV
建築主東京都
事業主体東京都
管理運営東京都
構造形式鉄骨構造・鉄骨鉄筋コンクリート構造・鉄筋コンクリート構造
敷地面積14,030 m²
建築面積9,786 m²
延床面積139,949 m²
階数地上34階、地下3階
高さ163.3m(軒高:162.34m)
着工1988年3月
竣工1990年12月
所在地〒160-0023
東京都新宿区西新宿二丁目9番
位置北緯35度41分17.1秒 東経139度41分31.3秒 / 北緯35.688083度 東経139.692028度 / 35.688083; 139.692028 (東京都庁第二本庁舎)
特記事項工費 - 建築:323億円、電気:59億円、空調・衛生:105億円
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東京都議会議事堂
Tokyo Metropolitan Assembly Building
情報
用途議会議事堂
主構造物東京都議会議事堂
設計者建築:丹下健三・都市・建築設計所、構造:ムトーアソシエイツ、設備:建築設備設計研究所
施工熊谷組、戸田建設、東急建設、錢高組、藤木工務店、日東建設、四谷建工、大和建設JV
建築主東京都
事業主体東京都
管理運営東京都
構造形式鉄骨構造・鉄骨鉄筋コンクリート構造・鉄筋コンクリート構造
敷地面積14,561 m²
建築面積6,660 m²
延床面積44,986 m²
階数地上7階、地下1階
高さ41.0m(軒高:40.5m)
着工1988年7月
竣工1990年12月
所在地〒160-0023
東京都新宿区西新宿二丁目5番
位置北緯35度41分23.3秒 東経139度41分35.8秒 / 北緯35.689806度 東経139.693278度 / 35.689806; 139.693278 (東京都議会議事堂)
特記事項工費 - 建築:146億円、電気:27億円、空調・衛生:32億円
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東京都庁舎(とうきょうとちょうしゃ、英: Tokyo Metropolitan Government Building)は、東京都新宿区西新宿に所在する東京都庁の庁舎である。第一本庁舎、第二本庁舎、東京都議会議事堂から構成される。
現在の東京国際フォーラムにあった旧丸の内庁舎については後述する。 美濃部亮吉都政下の1970年代、都議会議員と有識者で構成された本庁舎建設審議会は、「本庁舎は、老朽、分散、狭あいの現状にあり、都民サービス、職員の事務能率などの面において好ましくない」という答申に至り、丸の内庁舎を建て替える方針が固まる。ここから都庁を丸の内と新宿のどちらに建設するのかという長い議論が始まる。 巨額の財政赤字をもたらした美濃部に代わって1979年に都知事に就任した鈴木俊一は都の財政の再建を図ると同時に、凍結状態にあった新都庁舎計画を推進する。同年設置されたマイタウン構想懇談会で「シティ・ホール構想」が提起され、新庁舎には単なるオフィス機能だけではなく市民の交流の場を持たせた、自治的かつ文化的なシンボルとする方針が盛り込まれる。 政権2期目の1984年4月にシティ・ホール建設委員会が設けられ、計画の細部が詰められていくが、立地問題については決着がつかず、最後は知事の判断に委ねられることになった。これを受け鈴木は1985年2月、都庁の新宿移転と跡地となる丸の内に東京国際フォーラムを建設することを表明し、9月に都議会で「東京都庁の位置を定める条例」が可決され、新庁舎が新宿に建設されることが正式に決定した。 当時の建設界の大方は、新都庁舎は鈴木の選挙確認団体の会長を2期引き受けていた丹下健三が特命で設計するであろうと本人でさえが予想したが、新宿移転に反対する都議に知事が配慮する形で公正な指名コンペに方針転換される。1985年11月に丹下の師である前川國男や弟子の磯崎新の設計事務所を含む9社が指名され、108日後の締切の後に1ヶ月かけて審査が行われた。磯崎の案は道路上に建ぺい率オーバーの中層建築を構築することから条例改正が必須であり、他はそれまでの超高層オフィスビル群の延長で象徴性に欠けていたことから、最終的に丹下の記念碑的な設計案が選ばれた[1]。 自身の代表作である丸の内庁舎に続いて新都庁舎も自らの手で手掛けたいという丹下の熱意は尋常なものではなく、コンペの数年前から情報を収集して構想を練り続けた執念の成果であった。オイルショック後は主軸を海外に移していた丹下にとって、本作は日本への本格的なカムバックを意味し、同時にキャリアの集大成となった[2]。「新都庁舎コンペ」も参照 建築基準法を遵守するよう指導してきた都が新庁舎建設の為に容積率や高さ制限といった法的制約を改正することは道義上回避されたが、369,000m2という東京ドーム8個分にも及ぶ要求面積を満たすため、結果的に第一本庁舎・第二本庁舎・都議会議事堂の3棟に分棟されることになった[3]。1988年3月着工、1990年12月完成。工期は僅か33ヶ月半だった。費やされた総事業費は3棟合計で1457億円[4]。翌1991年3月に落成式が執り行われ、4月より業務を開始した。 高さ約240メートル、幅110メートルというエレベーションの圧迫感を和らげるために上部を八芒星型の双塔とし、タワーの四隅に非常階段やダクトなどの収まるシャフトを配した平面図を立ち上げた結果、パリのノートルダム大聖堂に近似したプロポーションとなった。更に4つのシャフトを巨大な4本柱のスーパーストラクチャーへ発展させ、自由で連続的なフロアの獲得に成功している。
計画から竣工まで
構造と意匠