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都電6000形電車
6000形6152号車「一球さん号」
(2003年1月25日 / 荒川電車営業所)
基本情報
運用者東京都交通局
製造所日本車輌製造、富士産業、木南車輌、交通局芝浦工場 他
製造年1947年 - 1952年
製造数290両
廃車2001年
主要諸元
軌間1,372 mm
電気方式直流600V
(架空電車線方式)
車両定員96名
(座席定員:22名)
自重16.0 t
全長12,300 mm
全幅2,210 mm
全高3,400 mm
台車D16
主電動機出力52 kW × 2
駆動方式吊り掛け駆動方式
出力104 kW
制御方式抵抗制御
制動装置直通空気ブレーキ
保安装置なし
備考主に6152号車のデータ。
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東京都交通局6000形電車(とうきょうとこうつうきょく6000がたでんしゃ)は、1947年(昭和22年)に登場した東京都交通局の路面電車(都電)車両である。
本項ではその後に改造された乙6000形電車についても記述する。目次 6000形は、1947年(昭和22年)から1952年(昭和27年)までの6年間に290両が製造された、800形と並ぶ、戦後初の新造車両である。 太平洋戦争末期の空襲により、都電の車両は当時の主力形式であった旧3000形を中心に、600両以上の車両を喪失した。また、戦時中の資材不足により稼働ができなくなった車両や、辛うじて被災を免れたものの、大戦末期から終戦直後の酷使により老朽化した車両も多数存在していた。 このため、戦後は主に経年の浅い戦災車両の更生復旧が進められたが、並行して新車両の製造も行われた。 6000形の量産と同時期に、3000形242両と4000形117両が6000形とほぼ同形の車体により更新された。この形態の車両がいわば都電の標準車となり、1067mm軌間の都電杉並線を除くほとんどの路線に在籍した。また、日本各地に類似した設計の車両が登場(後述)した。 290両が製造された大所帯だけあり、製造年度や製造メーカーによって様々な差異が見られた。 1947年(昭和22年)度の初期生産車は、被災した3000形の復旧名義で製造され、台車は種車である旧3000形で使用されていた組立台車枠のD-10型台車(写真)[1]が使用され、車体外板が1.6mm鋼板であることから製造メーカーによっては車体の歪みが目立つ個体もあり、新日国製の6001 - 6005については内装の一部にジュラルミンが貼られていたことから、出現当時には「ジュラルミン電車」と言われていた。前面の救命設備はストライカーとロックフェンダーを設置。1948年(昭和23年)春から簡易排障器の採用となったため後に交換された。その後、1949年 (昭和24年) 度製造から外板が2.3mmに増加し、6174号までは新造されたD-10型台車が使用された。 また、初期生産車は当初集電装置にトロリーポールを使用していたが、後年になってビューゲルに換装されている。この際、車両によってビューゲルの取付位置が異なっていた[注釈 1]。 1950年(昭和25年)度と1951年(昭和26年)度に製造された6175 - 6241号からは、上記のD-10型を元に開発された鋳鋼台車枠のD-16型台車が新たに採用された[注釈 2]。
1 概要
2 形態の差異
3 都電大量廃止以降
4 「一球さん」
5 保存車両
6 他の事業者への影響
7 乙6000形
8 脚注
8.1 注釈
8.2 出典
9 関連項目
概要
形態の差異