東京貨物ターミナル駅
旧駅社屋の全景。
跡地にはマルチテナント型物流施設「東京レールゲート」のWEST棟が完成している。
(2011年3月)
とうきょうかもつターミナル
Tōkyō Kamotsu Terminal
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東京貨物ターミナル駅(とうきょうかもつターミナルえき)は、東京都品川区八潮三丁目にある日本貨物鉄道(JR貨物)・東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅。旅客列車の設定はないがJR東日本の旅客駅の扱いとなっている。 当駅は、1973年(昭和48年)10月の東海道本線支線(通称:東京貨物ターミナル支線)汐留駅 - 塩浜操車場(現・川崎貨物駅)間が開業と同時にその区間内途中の東京臨海部の埋立地に開業した貨物駅[1][2][3][4][注 1]で、開業当時はコンテナホーム2面3線のみで、機能はフレートライナー専用ターミナルであった[2][注 2]。1979年(昭和54年)10月にコンテナホーム6面11線に施設が拡大して、全面開業に至った[2]。 東海道本線を中心に日本各地からの貨物列車が多く発着し、隅田川駅と並ぶ東京の二大貨物駅である他、貨物駅として日本最大の面積を持つ駅であり、当駅は一部の貨車の常備駅に指定されており、「東タミ」が貨車に記されている。 元々は国鉄による、東京 - 大阪間を5時間半程度で結ぶ東海道新幹線建設に際し、新線の建設時から同区間で旅客運行が完全に終了となる夜間の時間帯を使って、新幹線と同等の輸送時間で結ぶ「夜行貨物列車」の運行構想があった[5][注 3]。これに際し、1958年(昭和33年)に国鉄幹線調査会が答申して国鉄の新幹線総局計画審議室などが、実現に向けた検討をおこなった[6][7]。その後、実際に計画に沿って大阪側(現在の大阪貨物ターミナル駅)を含めた、貨物ターミナル建設用の広大な土地買収に動いていた。また、従来から使われていた国鉄所有の各種10 ft級コンテナを一周り大きくして、新たに1971年(昭和46年)に登場した新型12 ft 級のC20形コンテナは、在来線のコンテナ列車および進行中の「夜行貨物列車」にも、在来線への積載方向(長手方向)とは異なる縦方向(積み込み口のある片妻ドア側)にして積載できるようにと、コンテナの運用効率と投資負担の軽減を兼ねて開発された[6][7]。 しかし、その後の国内のインフレの影響で、東海道新幹線自体の建設費が当初の計画より2倍近くに膨れ上がった事情のほか、超高速運行にともなう架線やレールなどの設備の集中的な維持管理時間帯の捻出、あるいは独り歩き出来る乗降客とは違って「鎮座しているコンテナ」自体の取り扱い作業に時間が掛かり、結果的には時間短縮の効果が少ないなど旅客輸送効果とは根本的な違いのため、貨物輸送計画を断念した[6][7][注 4]。 その後、不要となった広大な貨物新幹線用地は、現在の東京貨物ターミナル駅や、隣接する電気機関車・ディーゼル機関車用の車両基地などに転用されて、1973年(昭和48年)10月1日に開業したのが始まりである。ただし、当初から現在のような大規模な施設や設備は無く、時代の流れに沿って随時、増改築を繰り返し現在の規模に育っていった。 また、1960年代に計画された東京外環状線構想では、当駅には大井操車場が併設される予定であった。
概要
歴史跨線橋からの光景。一番奥に旧駅社屋が写っている(2010年5月)かつて交通博物館で展示されていた東海道新幹線貨物列車(電車)の模型(※積載されたコンテナが通常とは異なり、レール側からフォークリフトを差し込むイメージとなっている点に注目)
年表
1973年(昭和48年)10月1日:1973年(昭和48年)10月1日に東海道本線支線(通称:東京貨物ターミナル支線)汐留駅 - 塩浜操車場(現在の川崎貨物駅)間開業と同時に同区間途中の東京臨海部の埋立地に開業[1][2][3][4][注 1]。
1974年(昭和49年)10月1日:営業範囲をコンテナ貨物とする[8]。
1979年(昭和54年)10月1日:コンテナホーム6面11線が完成し、全面開業[2]。
1983年(昭和58年)8月20日:東京貨物開発の物流施設が営業開始。
1986年(昭和61年)11月1日:書類上旅客営業を開始[9]、一般駅となる。
1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化によりJR貨物・JR東日本の駅となる。
この頃 - 構内西側にレール基地が完成。それに伴い、西端のコンテナホーム1面2線を廃止し、東端に1面1線を新設。
1992年(平成4年)
7月1日:エフ・プラザ東京B棟営業開始[10]。
12月1日:エフ・プラザ東京A棟営業開始[10]。