東京航空輸送社
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%}

2015年に存在する日本の民間航空会社については「東京航空」をご覧ください。
日本初の客室乗務員同乗フライト。乗客は逓信大臣の小泉又次郎一行。1931年3月29日撮影。

東京航空輸送社設立1928年9月
運航開始1929年11月17日
AOC #1929年8月1日
拠点空港東京府荏原郡大井町 鈴ヶ森水上飛行場
就航地下田清水
本拠地東京府荏原郡蒲田町新宿十番地
代表者相羽有
備考
1935年12月、東京航空株式会社に名称変更。
テンプレートを表示

東京航空輸送社(とうきょうこうくうゆそうしゃ)は1928年(昭和3年)9月、日本の民間航空業及び自動車業の先駆者として著名な相羽 有(あいば たもつ)によって設立された民間航空会社。1929年(昭和4年)11月から水上機による東京-下田間の定期航空路線営業を行った。後の東京航空株式会社。なお「相羽有」と「日本飛行学校」については各々独立した項で述べる。
概要

弱冠21歳で日本飛行学校を創設して飛行士の養成を行い、その後日本自動車学校や日米スター自動車株式会社を立ち上げ成功させた相羽だったが、日本に本格上陸したフォードGMに押され、昭和に入る頃にはスター自動車の売上げは激減した。そこで本場の現況を確認するため1927(昭和2)年に欧米を視察。帰国後の1928(昭和3)年9月に設立[注 1]したのが「東京航空輸送社[注 2]」だった。

定期航空便の認可を得ると1929年(昭和4年)11月より水上機のアブロ 504(乗員1名、乗客1名)で東京(大森海岸)-下田間を週1往復の営業を始めた。翌1930年(昭和5年)には海軍よりハンザ・ブランデンブルク水上機(乗員1名、乗客1名)の払い下げを受け、4月からは区間を清水まで延長し週2往復とした[注 3]

1931年(昭和6年)2月には日本初の客室乗務員「エア・ガール」を募集。大きな話題となり、その選考過程までも新聞各紙がこぞって報じる中、応募者141名の中からこの春高等女学校を卒業予定の3名(山本英子、和田正子、工藤雪江)を採用したが、給与の安さから同年4月29日には3人とも退職を申し出ている[4][注 4]。面接官には北村兼子朴敬元[5]など日本飛行学校の女性飛行家も参加していた。

同じく1931年(昭和6年)には逓信省令により東京-下田-清水線で郵便輸送を開始[6]

1935年(昭和10年)12月、東京航空輸送社が株式会社化、「東京航空株式会社[注 5]」となる。1936年(昭和11年)には前年から始めた遊覧飛行事業、エア・タキシーに乗務させるため新たなエア・ガールを募集[注 6]

1939年(昭和14年)5月11日より大日本航空会社法が施行[8]され、距離300qを超える航空輸送事業が禁じられた。この時点ではその網から漏れたものの、以後戦時体制へと向かう中で国策に従い航空輸送事業を停止。以後は航空機の製作[9]などをその役割とした。1944年(昭和19年)8月には軍需省によって社長の相羽以下全役員が実質的に解任。後任の生産責任者には同社会長を務めていた浅野八郎が就いた[10]

1945年、GHQの発した航空禁止令により日本国内での航空機の運用及び研究開発の一切が禁じられる。これにより東京航空は解散したと推定されるが、創業者である相羽の手によって1951年10月に再び東京航空株式会社が設立された。
保有機材

アブロ式504水上機(2人乗り) - ル・ローン120馬力発動機搭載。開業時に保有していた2機のうちの1つ。

ハンザ式水上機(2人乗り)- 同上。発動機はイスパノ・スイザ300馬力。1931年(昭和6年)2月12日、テスト飛行時の水上滑走中に発動機から出火し爆発後沈没。山崎廣志機関士が殉職[11]

中島式フォッカー旅客貨物用水上飛行機(乗員2人、乗客6人) - 1931年(昭和6年)7月、海防義会が七万円で購入し東京航空輸送社に無償貸与。第十一義勇号[12][13]

愛知式AB一型水上旅客機(7人乗り)- 1931年(昭和6年)2月より就航。愛知時計電機株式会社製造、ローレン450馬力発動機搭載[12]

三菱式SI型水上旅客機[14](7人乗り)- ジュピター450馬力発動機搭載。

九〇式一型水上旅客機[1](3人乗り)- ジュピター450馬力発動機搭載。

一五式水上旅客機[1](3人乗り)- イスパノ・スイザ300馬力発動機搭載。

瓦斯電式KR-2型陸上旅客機[1](4人乗り)- 神風150馬力発動機搭載の小型旅客機。

海外同胞号 - 海外在留日本人による寄付金で製作された軽飛行機で帝国飛行協会第十二号機。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:26 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef