中田重治
かつ子・あやめ・羽後
笹尾鉄三郎・秋山由五郎
C・E・カウマン・カウマン夫人
E・A・キルボルン・山崎亭治
車田秋次・森五郎
野辺地天馬・三谷種吉
米田豊・一宮政吉・菅野鋭
小原十三司・小原鈴子
小出朋治・小出忍
金森通倫・渡辺善太
表
話
編
東京聖書学校(とうきょうせいしょがっこう)は、日本基督教団のホーリネスの群の教職養成のために設立された日本基督教団認可神学校。 1936年の日本ホーリネス教会の和協分離によって、委員側(車田秋次、小原十三司、米田豊ら)は柏木聖書学院を、中田監督側に譲った。そして、淀橋教会内に神学校を開校して、聖書学校と名付けた。校長は米田豊であった。その後、板橋区毛呂に新校舎を建設した。1943年にホーリネス系の教会は政府により弾圧を受けて解散させれ、神学校の校舎を手放した。 1945年の終戦と共に、ホーリネス系の牧師は日本基督教団に復職して、旧6部の教職はホーリネスの群を結成して、日本橋芳町の聖都教会で東京聖書学校を再開する。戦災で消失した淀橋教会が再建されるが、1949年の日本ホーリネス教会設立により、車田秋次、米田豊らが離脱し、残った小原十三司が指導者として残る。1950年に東京聖書学校が淀橋教会内に移転した。小原の尽力により、1954年日本基督教団の認可神学校になり、1972年まで小原十三司が22年間の長きに亘り校長を勤め、田中信生などの著名な牧師を輩出した。小原の引退後に小出忍が校長を引き継ぎ、1980年に東京キリスト教短期大学より、東久留米市の土地を購入して移転する。 1994年に東久留米市から現在の所在地の埼玉県吉川市に移転する。
目次
1 沿革
2 特色
3 主な卒業生
4 参考文献
5 外部リンク
沿革
特色
全寮制
ジョン・ウェスレーの神学の強調
主な卒業生
小山宗祐
田中信生
峯野龍弘
参考文献
中村敏「日本における福音派の歴史」いのちのことば社、2000
外部リンク
⇒東京聖書学校
歴
きよめ派
指導者
ルーツピューリタン - シュペーナー - 敬虔主義 - フレンド派 - ジョン・ウェスレー - D・L・ムーディー - ジョージ・ホウィットフィールド - ジョナサン・エドワーズ - チャールズ・フィニー - A・B・シンプソン
松江バンドバックストン - ウィルクス - 竹田俊造 - 堀内文一 - 笹尾鉄三郎 - 松野菊太郎 - 秋山由五郎 - 御牧碩太郎 - 柘植不知人 - 土肥修平
ホーリネス系中田重治 - 中田かつ子 - 中田あやめ - チャールズ・カウマン - レテー・カウマン - アーネスト・キルボルン - 三谷種吉 - 山崎亭治 - 米田豊 - 車田秋次 - 小原十三司 - 小原鈴子 - 一宮政吉 - 菅野鋭 - 野辺地天馬 - 金森通倫 - 小出朋治 - 小出忍 - 森五郎 - 江賀寅三 - 小林和夫 - 尾花晃 - 村上宣道 - 松木祐三 - 千代崎秀雄 - 峯野龍弘 - 安倍豊造 - 辻啓蔵 - 辻宣道 - 蔦田二雄 - 蔦田公義 - 藤本栄造 - 藤本満