東京競馬場
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出典検索?: "東京競馬場" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2013年1月)
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東京都品川区に所在する「大井競馬場」とは異なります。

東京競馬場
スタンド(2013年5月)

航空写真(2019年)
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
施設情報
通称・愛称府中競馬場
所在地東京都府中市日吉町1番地1
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度39分44秒 東経139度29分8秒 / 北緯35.66222度 東経139.48556度 / 35.66222; 139.48556座標: 北緯35度39分44秒 東経139度29分8秒 / 北緯35.66222度 東経139.48556度 / 35.66222; 139.48556
開場1933年11月8日
所有者日本中央競馬会
管理・運用者日本中央競馬会
収容能力メモリアルスタンド、フジビュースタンド
コース
周回左回り
馬場芝・ダート
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東京競馬場(とうきょうけいばじょう、英: Tokyo Racecourse)は、東京都府中市にある中央競馬競馬場。所在地から府中競馬場(ふちゅうけいばじょう)とも通称される。競馬ファンの間では単に府中でも通用する。施行者ならびに管理者は日本中央競馬会である。

敷地内施設として、JRA競馬博物館・乗馬センターの他、馬車(ホースリンク)・水遊び広場やミニ新幹線など遊園地のような遊具やイベントが行われている。
歴史東京競馬倶楽部時代の東京競馬場1940年の東京競馬場

東京競馬場の前身は目黒競馬場である。1907年明治40年)に約65,000坪 (≒21.5ヘクタール (ha))の敷地面積の目黒競馬場が開設されたが、その後目黒競馬場周辺の都市化が進み、借地が大部分だった目黒競馬場は借地料の増加に加え、馬券発売による競馬人気で手狭になったにもかかわらず、施設拡張の余地がなかったため、移転を余儀なくされた。

小金井や羽田、世田谷なども移転先候補地となったが、府中町(当時)が競馬場誘致活動に力を入れ、地形もよかったので府中に決定し、1933年昭和8年)11月8日、東京競馬場は開場した[1][注 1]。10日後の11月18日に東京競馬場での初めての開催を行い、目黒競馬場は完全閉場となった(目黒記念は目黒競馬場にちなんでいる)。移転した競馬場の総面積は駐車場や道路、厩舎地区を含めて約24万坪と目黒競馬場時代の3倍以上になった[1]。本馬場は一周2100メートル、幅は30メートルで芝を植え、本馬場内側には練習馬場(調教用コース)を設け練習馬場には川砂を敷いた[8]

元々の用地は現在よりフラットであった。現在の競馬場の第3コーナー手前とホームストレッチにある勾配は人為的に作ったものである。これは競走馬にスピードよりも強靭さを求めた陸軍の意向を取り入れたもので、多摩川向かいの川崎の山土を運びコースに盛ってアップダウンを設けた[9]。コースには山土を盛って芝を植えた。この山土を取るために南武線沿いにある山も買った[1]

目黒にあった各厩舎も競馬場移転に伴い府中に移転した。1936年(昭和11年)東京競馬場所属の厩舎は30厩舎[10]。その多くは東京競馬場内の厩舎地区に入ったが、尾形藤吉厩舎、北郷五郎厩舎は競馬場外の府中町清水が丘に自前の土地建物を用意した[10][11]

開場時の東京競馬場のレースは、春・秋の2回開催で各季8日間の開催であった。手狭だった目黒競馬場が、1場所8日間の開催で最高で観客8万人あまりだったが、移転して広大になった東京競馬場第1回開催では8日間で10万人を超えた。記念すべき東京競馬場の初開催は1933年(昭和8年)11月18?20・25?26日、12月1?3日である[12]

東京優駿(日本ダービー)は1934年(昭和9年)の第3回から東京競馬場で行われ、開設時の重賞競走としては帝室御賞典(現在の天皇賞)や農林省賞典、目黒記念などが行われていた[13]

1937年(昭和12年)、全国的な競馬施行団体である日本競馬会が設立された。これに伴って東京競馬場のみの競馬運営体の東京競馬倶楽部は解散して日本競馬会に合流し、東京競馬場は日本競馬会東京競馬場となる[14]

1940年(昭和15年)の開催が決まっていた東京オリンピックでは、馬事公苑中山競馬場とともに馬術競技で使用されることとなっていたが、日中戦争の影響で東京オリンピックの開催そのものが中止となった。

1943年(昭和18年)12月、政府は競馬を中止し、1944年(昭和19年)以降は東京・京都でのみ能力検定試験を行うことにした。したがって、この年の日本ダービーや横浜農林省賞典四歳呼馬(現在の皐月賞)は馬券は売らず観客は入らないなかで、関係者のみが見つめる前で行われている。中山競馬場で行われていた重賞レース(中山記念中山四歳牝馬特別など)も東京で行われた[15]

1944年(昭和19年)5月、横浜競馬場の閉鎖にともない、横浜農林省賞典四歳呼馬(現在の皐月賞)が東京競馬場で行われる。横浜農林省賞典四歳呼馬は1947・48(昭和22・23)年も東京で行われ、1949年(昭和24年)から中山に移って皐月賞になる[16]

1945年(昭和20年)、東京競馬場は陸軍燃料廠に貸与され、東京競馬場は閉鎖された。東京競馬場所属馬は一部は京都競馬場や阪神競馬場に送られ、その他は地方で種牡馬になったり運搬車曳馬などに転用された。調教師や馬丁(厩務員)などの人員は一部は京都競馬場や宇都宮競馬場に移転を命じられたり、一部は転業が命じられて曳馬機動隊(運搬車曳馬の隊)や馬匹修練場などに配置替えされた[17]。東京競馬場施設は軍に貸与されたが、戦時中の食糧難の為に競馬場は全面が畑になり、馬場はサツマイモ畑になっていた[18][19]

1946年(昭和21年)、軍から返還され、同年10月17日から競馬は再開された[18]

1947年(昭和22年)、それまで阪神で行われていた優駿牝馬競走(オークス) が東京で開催された[18]

1948年(昭和23年)、日本競馬会は前年に制定された私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律(独占禁止法)によって解散。


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