東京田辺製薬株式会社(とうきょうたなべせいやく、英文・TOKYO TANABE CO., LTD.)は、かつて存在した日本の大手製薬会社。田辺三菱製薬の源流企業の一つ。
会社概要
田辺三菱製薬がWebで公開している社史[1]によると、東京田辺製薬の興りは、明治時代末期、「田辺製薬株式会社」の当時の当主だった12代田邊五兵衛
営業所傘下出張所
札幌旭川、函館
仙台秋田
盛岡
郡山
中央(東京)城東
城南
城北
多摩
新潟高崎、松本
大宮川越、宇都宮
水戸松戸、千葉
横浜湘南
静岡
名古屋名古屋東、岡崎、岐阜、津
北陸
京都
大阪
阪奈
北大阪
堺
神戸姫路
広島米子、岡山、山口
高松松山
福岡北九州、長崎、熊本、大分、沖縄
鹿児島
沿革
1901年(明治34年)7月25日 - 12代目田邊五兵衛の弟である、初代田邊元三郎が「田邊五兵衛商店」から独立分離し、東京府東京市日本橋区本町四丁目(現在の東京都中央区日本橋本町二丁目)に薬種問屋「田邊元三郎商店」を創業。
1915年(大正4年)‐ 東京都荒川区に三河島工場を建設し、医薬品の生産に着手。
1921年(大正10年)11月24日 - 資本金100万円にて、株式会社田邊元三郎商店に改組。スポーツマッサージとして日本初の市販薬第1号「サロメチール」を発売。
1936年(昭和11年)- ビタミンCを日本で初めて合成生産し「アスコルチン」の名で発売。
1938年(昭和13年)- 東京都足立区梅田に梅田工場を新設。2003年(平成15年)に老朽化のため閉鎖。
1939年(昭和14年)- 株式会社田邊五兵衛商店(のちの田辺製薬)との共同出資により、中国北京市に株式会社田辺公司、満州国奉天市に株式会社田辺商店を設立。
1940年(昭和15年)- 関連会社として東京府医薬品卸株式会社を設立。
1941年(昭和16年)‐ 田邊五兵衛商店との共同出資により、中国上海市に関連会社「株式会社田辺洋行」を設立。
1942年(昭和17年)- 東京都北区に王子工場を建設。1980年(昭和55年)に閉鎖。
1943年(昭和18年)9月 - 東京田辺製薬株式会社に社名変更。
1947年(昭和22年)- 空襲により大半を焼失した王子工場での生産を再開。
1949年(昭和24年)- 三河島工場を閉鎖。生産設備を梅田工場と王子工場に集中して生産の合理化を図る。
1951年(昭和26年)
5月 - 戦後の新薬1号「ビタプレックス」を発売。
12月 - 大阪府大阪市に大阪駐在所を開設。
1952年(昭和27年)- 東京工業大学との技術提携により、日本初となるビタミンB2の合成に成功。
1953年(昭和28年)- 大阪駐在所を大阪出張所に昇格。
1954年(昭和29年)‐ 北海道札幌市に札幌連絡所、愛知県名古屋市に名古屋連絡所をそれぞれ開設。