東京田辺製薬
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東京田辺製薬株式会社(とうきょうたなべせいやく、英文・TOKYO TANABE CO., LTD.)は、かつて存在した日本の大手製薬会社田辺三菱製薬の源流企業の一つ。
会社概要

田辺三菱製薬がWebで公開している社史
[1]によると、東京田辺製薬の興りは、明治時代末期、「田辺製薬株式会社」の当時の当主だった12代田邊五兵衛が、次男・田邊元三郎に薬種問屋「田邊元三郎商店」を東京・日本橋本町で創業させたこととされる。その後、大正時代後期、資本金100万円で株式会社に改組し、自社での医薬品開発・生産に乗り出した。


昭和に入ると、1936年(昭和11年)に日本で初めてビタミンCを合成生産し「アスコルチン」の名で発売した。しかし大都市エリアに工場を構えていたため、空襲被害で生産能力が落ち、戦後は三河島工場を閉鎖、生産設備を梅田工場と王子工場に集中させ生産の合理化を図った。


田辺製薬とは一時期、西日本 - 田辺、東日本 - 東京田辺と営業エリアの棲み分けを図っていたが、東京証券取引所上場(1963年(昭和38年)第二部、1970年(昭和45年)第一部指定替え)を機に、徐々に田辺製薬からの独立を進め、1980年代三菱化成工業(現・三菱ケミカル)と業務提携、以後は三菱グループ傘下となった。1999年(平成11年)10月1日、同グループ傘下の医薬品事業の再編により、三菱化学(旧・三菱化成)に事業分割の上で吸収合併され、三菱東京製薬株式会社となった。


のち三菱東京製薬は、2001年(平成13年)10月1日に武田薬品工業子会社であったウェルファイド株式会社と合併し、三菱ウェルファーマ株式会社となった。その後、三菱ウェルファーマは田辺製薬と合併し、田辺三菱製薬が発足。結果的に東西田辺が再統合を果たした。


当社の製品の多くは再編過程で整理され姿を消したが、ウルソデオキシコール酸を主成分とする胃腸薬「ウルソ」シリーズは田辺三菱製薬に引き継がれ、同社の主力OTC薬の一つ(第3類医薬品)となっている。

事業所一覧
1999年(平成11年)9月30日終了時点


本社 -
東京都中央区日本橋本町二丁目2番6号 - 現在は解体済。

工場・物流センター・研究所


梅田工場 - 閉鎖、解体済。

足利工場 - 事業譲渡済。

いわき工場 - 事業譲渡済。

足利物流センター - 事業譲渡済。

研究開発本部 - 閉鎖、解体済。

かずさ研究所 - 閉鎖済。

支店


北海道支店 - 閉鎖済。

東北支店

東京支店

上信越支店

中関東支店

東関東支店

西関東支店

名古屋支店

大阪支店 - 閉鎖、解体済。

京都支店

神戸支店

中国支店

四国支店

九州支店 - 閉鎖、解体済。

営業所・出張所

営業所傘下出張所
札幌旭川、函館
仙台秋田
盛岡
郡山
中央(東京)城東
城南
城北
多摩
新潟高崎、松本
大宮川越、宇都宮
水戸松戸、千葉
横浜湘南
静岡
名古屋名古屋東、岡崎、岐阜、津
北陸
京都
大阪
阪奈
北大阪

神戸姫路
広島米子、岡山、山口
高松松山
福岡北九州、長崎、熊本、大分、沖縄
鹿児島

沿革

1901年明治34年)7月25日 - 12代目田邊五兵衛の弟である、初代田邊元三郎が「田邊五兵衛商店」から独立分離し、東京府東京市日本橋区本町四丁目(現在の東京都中央区日本橋本町二丁目)に薬種問屋「田邊元三郎商店」を創業。

1915年大正4年)‐ 東京都荒川区に三河島工場を建設し、医薬品の生産に着手。

1921年(大正10年)11月24日 - 資本金100万円にて、株式会社田邊元三郎商店に改組。スポーツマッサージとして日本初の市販薬第1号「サロメチール」を発売。

1936年昭和11年)- ビタミンCを日本で初めて合成生産し「アスコルチン」の名で発売。

1938年(昭和13年)- 東京都足立区梅田に梅田工場を新設。2003年(平成15年)に老朽化のため閉鎖。

1939年(昭和14年)- 株式会社田邊五兵衛商店(のちの田辺製薬)との共同出資により、中国北京市に株式会社田辺公司、満州国奉天市に株式会社田辺商店を設立。

1940年(昭和15年)- 関連会社として東京府医薬品卸株式会社を設立。

1941年(昭和16年)‐ 田邊五兵衛商店との共同出資により、中国上海市に関連会社「株式会社田辺洋行」を設立。

1942年(昭和17年)- 東京都北区に王子工場を建設。1980年(昭和55年)に閉鎖。

1943年(昭和18年)9月 - 東京田辺製薬株式会社に社名変更。

1947年(昭和22年)- 空襲により大半を焼失した王子工場での生産を再開。

1949年(昭和24年)- 三河島工場を閉鎖。生産設備を梅田工場と王子工場に集中して生産の合理化を図る。

1951年(昭和26年)

5月 - 戦後の新薬1号「ビタプレックス」を発売。

12月 - 大阪府大阪市に大阪駐在所を開設。


1952年(昭和27年)- 東京工業大学との技術提携により、日本初となるビタミンB2の合成に成功。

1953年(昭和28年)- 大阪駐在所を大阪出張所に昇格。

1954年(昭和29年)‐ 北海道札幌市に札幌連絡所、愛知県名古屋市に名古屋連絡所をそれぞれ開設。


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