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東京理科大学
神楽坂キャンパス神楽坂校舎
大学設置1949年
創立1881年
創立者櫻井房記、寺尾寿、中村精男、中村恭平、豊田周衛、加瀬代助、沢野忠基、高野瀬宗則、千本福隆、小林有也、保田棟太、桐山篤三郎、信谷定爾、谷田部梅吉、赤木周行、三守守、難波正、和田雄治、三輪桓一郎、名村程三、鮫島晋
学校種別私立
設置者学校法人東京理科大学
本部所在地東京都新宿区神楽坂一丁目3
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度41分57.8秒 東経139度44分29秒 / 北緯35.699389度 東経139.74139度 / 35.699389; 139.74139
東京理科大学(とうきょうりかだいがく、英語: Tokyo University of Science)は、東京都新宿区神楽坂一丁目3番地に本部を置く日本の私立大学。1881年創立、1949年大学設置。大学の略称は理科大(りかだい)、TUS。
概観
大学全体神楽坂校舎1・7・9号館
東京理科大学は、1881年(明治14年)創立の東京物理学校を主な前身として1949年(昭和24年)に設立された、理学・工学・薬学・生命科学・経営学をはじめとする分野を包括する理工系総合大学である。
1897年(明治30年)に京都帝国大学が創立され、同大に理工科大学(理工学部)が設置されるまでの間、自然科学の教育を施したのは東京帝国大学と、現在の東京理科大学の前身校である東京物理学校だけであった[広報 1]。自然科学の教育を行う高等教育機関(専門学校を含む)として国内で2番目に長い歴史を持ち、私立としては最古の歴史を持っている。夏目漱石の『坊つちやん』に登場する「物理学校」は、この東京物理学校を指す。また、石川啄木の日記や北原白秋の詩など多数の作品において当時の東京物理学校の講義の情景が描かれている[1][2]。
2006年の創立125周年を機に「Con'science'(カンシャンス:英語・フランス語で「良心」の意)?21世紀の「科学」は「良心」へ向かう?」のコンセプトを打ち出した。
2021年の創立140周年を機に「理念を貫き、進化する。-Building a Better Future with Science-」のコンセプトを打ち出した[3]。 教育と研究をともに重視する教育研究機関を目指している。教育面では建学時からの伝統として、実力を備えた学生のみを卒業させるという「実力主義」を受け継ぐ。研究面では、情報科学教育研究機構、総合研究院および生命医科学研究所などの整備・拡充に努めている。 8学部11研究科を擁する、日本を代表する規模の理工系総合大学である。1993年(平成5年)には、唯一の文系学部となる経営学部が設置された。 現在は一般の大学同様に入学試験が課せられているが、東京物理学校時代は入学試験は存在せず、誰でも希望すれば入学できた。しかし試験に合格できなければ進級できず、2回留年すると退学になるという厳しいルールがあった。この制度は「物理学校モデル」と呼ばれ、実力の無い者は卒業させないという方針により卒業者は入学者の10%にも満たなかった[4]。1944年からは入学試験が行われるようになったが、これは現在の実力主義の校風に受け継がれている[5]。 また、日本が近代化を成し遂げた明治から大正にかけて、当時のエリート養成学校である師範学校と中等学校の数学、物理学、化学の教員のうち、実に半数以上を物理学校の卒業生が占めていた[広報 2]。そのため物理学校は別名「教員学校」とも呼ばれた。大村智(2015年ノーベル生理学・医学賞受賞者、本学出身) 2023年時点、日本の私立大学として唯一、ノーベル賞受賞者(2015年ノーベル生理学・医学賞の大村智)を出した大学である[6]。
建学の精神(校訓・理念・学是)「理学の普及をもって国運発展の基礎とする」
教育および研究
学風および特色