東京消防庁
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総務省の外局である「消防庁」とは異なります。

東京都行政機関東京消防庁
とうきょうしょうぼうちょう
Tokyo Fire Department

東京消防庁本庁舎(奥の白い高層ビル。手前は丸の内消防署)
役職
消防総監吉田義実
組織
内部組織企画調整部
総務部
人事部
警防部
防災部
救急部
予防部
装備部
消防学校
消防技術安全所
概要
所在地東京都千代田区大手町一丁目3番5号
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度41分19.8秒 東経139度45分41.6秒 / 北緯35.688833度 東経139.761556度 / 35.688833; 139.761556座標: 北緯35度41分19.8秒 東経139度45分41.6秒 / 北緯35.688833度 東経139.761556度 / 35.688833; 139.761556
定員18,576名(現員)[1]
設置1948年昭和23年)5月1日
前身東京消防本部
ウェブサイト
東京消防庁
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東京消防庁(とうきょうしょうぼうちょう、: Tokyo Fire Department、略称: TFD)は、東京都消防本部消防組織法第26条ないし第28条)。

管轄区域は区部、および消防事務委託制度により委託された多摩地域29市町村。

日本語略称は、東消(とうしょう)。東京消防庁旗
概要
23区の消防を担う都の機関東京消防庁レスキュー隊員(2015年4月28日、台湾台北市

「東京消防庁」という名称は、東京都の「東京消防庁の設置等に関する条例」の第2条第2項により定められている。

約1万8千人の消防吏員を抱え、日本最大にして世界最大の規模の消防組織である。本部庁舎は千代田区大手町一丁目3番5号にあり、丸の内消防署に隣接している。

消防組織法に基づく原則論からすると、特別区もまた、地方自治法上のに準ずる基礎的地方公共団体であることから(地方自治法第281条の2第2項)、その消防責任は個々の特別区が負うべきはずであるが、同法第281条の2第1項は「都は、特別区の存する区域において、特別区を包括する広域の地方公共団体として、(地方自治法)第2条第3項において市町村が処理するものとされている事務のうち、人口が高度に集中する大都市地域における行政の一体性及び統一性の確保の観点から当該区域を通じて都が一体的に処理することが必要であると認められる事務を処理するものとする」と定めている。

消防組織法第26条により、「特別区の存する区域においては、特別区が連合してその区域内における(消防組織法)第6条に規定する責任を有する」こととなっており、第27条第1項で、「特別区の消防は、都知事がこれを管理する」、第2項で「特別区の消防長は、都知事が任命する」とされ、さらに、第28条で「特別区の存する区域における消防については、特別区の存する区域を一の市とみなして、市町村の消防に関する規定を準用する」と定めている。これら地方自治法の規定と消防組織法の規定を踏まえ、特別区の存する区域の消防は、市とみなしつつ都が負うことになっている。
29市町消防の受託

市町村は消防組織法第6条の原則により独自の消防責任を負担するが、多摩地域29市町村の場合「消防力の強化」を目的とした陳情がなされ現在に至る。理由として下記が挙げられる。[2]

昭和23年(消防組織法施行前後)まで警視庁消防部により一括管理されていたこと。

単独消防組織では、消防力の有機的機能が発揮できないこと。

非常備市町村との消防相互応援協定が困難なこと。

多摩地区には、国有、都有の消防対象物が多数存在するため、市町村のみに消防責任を負わすことに不合理があること。

各市町村とも財政負担の増大に伴い財政難であること。

市町村間の人事交流が不可能なため、士気が停滞していること

前述の通り消防事務は各自治体の事務であるが、消防組織法第31条および地方自治法第252条の14による消防事務委託制度を利用することにより他自治体の消防本部に消防業務を委託することができる。

この制度を利用して多摩地域30市町村のうち、稲城市以外の29市町村は東京消防庁に対して消防事務を委託している。これら委託による管轄エリアは「受託(委託)区域」と呼ばれる。[3]
本機関に消防を委託しない都内の市町村

東京消防庁に消防を委託していないのは、多摩地域の稲城市及び島嶼部の各町村である。

このうち、消防組織法の原則通りに市町村ごとの消防本部を設置しているのは稲城市(稲城市消防本部)、伊豆諸島大島町大島町消防本部)、三宅村三宅村消防本部)、八丈町八丈町消防本部)である。

また、常備消防未設置の自治体は、伊豆諸島の利島村新島村神津島村御蔵島村青ヶ島村並びに小笠原諸島小笠原村である。詳細は「消防本部一覧#常備消防未設置町村」を参照
沿革
変遷警視庁消防部庁舎(大正時代)

現在の「東京消防庁」に相当する組織は、1948年昭和23年)3月7日に、それまで母体であった警視庁消防部から分離独立したが、その段階では「東京消防本部等の設置に関する条例」に基づき、「東京消防本部」と称していた。ところで、同じ時期に警察制度の抜本的改正があり、旧警視庁は自治体警察を設けない地域を管轄区域とする国家地方警察東京都本部と、旧東京市の区域を管轄する自治体警察である警視庁 (旧警察法)八王子市警察などの市町村自治体警察に解体された。

当時の敗戦下の日本を間接統治していたGHQは、消防と警察の職責はともに重要であり、双方ともに同等の関係でなければならないという理念に基づき、東京都・警視庁・東京消防本部の三機関に対し、東京の消防本部の名称とその長の職名を、警視庁・警視総監という名称・職名と同じように、その職責にふさわしいものにすべきであるという内容の指導をした。さらにこの意見はGHQとしての発言である旨を補足し、消防の組織およびその長の名称は、警察と同一にすることが民主的であると強調した。

これに対して旧来の見地から一部反対意見はあったものの(日本の民主化はポツダム宣言第10項及び第12項に基づく最重要案件であることから)、GHQは反対意見を説得力に欠けると判断し、東京都は再度自主的にGHQの意向をくんだ方向で検討し、「東京消防本部等の設置に関する条例」を「東京消防庁の設置等に関する条例」と名称変更するとともに所要の改正をなし、1948年(昭和23年)5月1日にこれを施行した。この条例の施行に伴い、「東京消防本部」は「東京消防庁」となり、同時に消防本部長の職名も警視庁の警視総監にならって「消防総監」となったとされている[4]
年表
前身・警視庁時代

1880年明治13年)6月1日内務省警視局に初の公設消防たる内務省警視局消防本部を設立(東京消防庁の前身)[5]

1881年(明治14年)1月14日警視庁の設置に伴い、所属が変わると共に改称され警視庁消防本署となる。

1891年(明治24年)4月1日:警視庁消防署と改称。

1906年(明治39年)4月17日:警視庁消防本部と改称。

1913年大正2年)6月13日:警視庁消防部と改称。

1923年(大正12年)9月1日関東大震災発生。

1933年昭和8年):前年に起きた白木屋火災を教訓に、特別救助隊の先祖である「専任救助隊」を編成、神田消防署に置く。

1936年(昭和11年)1月20日:救急業務開始。

特別区自治体消防時代

1948年(昭和23年)

3月7日消防組織法の施行に伴い東京消防本部が発足。

内務省警視庁の廃止に伴う警視庁消防部の後身としての役割も有するが、東京都全域が管轄の警視庁消防部と異なり自治体消防として東京都区部のみを管轄する。


5月1日:東京消防庁に改称。


1949年(昭和24年)3月31日:東京消防庁に指令室(現在の災害救急情報センター)を設置[6]

1953年(昭和28年)3月3日:消防地区隊及び各消防署の予防事務所が廃止され、新たに7つの消防方面本部を設置[6]

1955年(昭和30年):聖母の園養老院火災を契機として再び、人命救助の必要を認識したために専任救助隊制度を再度運用を開始した。

1959年(昭和34年)3月7日:東京消防庁本部庁舎(千代田区永田町)が落成[7]

1960年(昭和35年)4月1日:本来の管轄区域外である16市町から消防事務を受託。

これに伴い立川地区消防本部、北多摩中央消防組合、武蔵野地区消防組合、調布消防本部、府中消防本部、日野町消防本部、町田市消防本部、八王子市消防本部、青梅市消防本部が合流。


1961年(昭和36年)4月1日:東京消防庁第八消防方面本部を設置。

1964年(昭和39年)7月14日品川勝島倉庫爆発火災で消防職員18名・消防団員1名殉職

1966年(昭和41年)4月1日:東京消防庁航空隊を設置[8]

1969年(昭和44年)8月1日:麹町消防署永田町出張所に特別救助隊(通称:レスキュー隊、愛称:東京レスキュー)を設置し運用開始[9]

1970年(昭和45年)4月1日:本来の管轄区域外である東村山市の常備消防事務を受託する。東村山市消防本部が合流。

1973年(昭和48年)4月1日:本来の管轄区域外である3市町の消防事務を受託する。これに伴い福生地区消防組合が合流。

1974年(昭和49年)

4月1日:本来の管轄区域外である8市町村の消防事務を受託。

これに伴い狛江市消防本部、北多摩西部消防組合、清瀬市消防本部、秋川地区消防組合、奥多摩町消防本部が合流。


10月23日水難救助隊を設置[10]


1975年(昭和50年)8月1日:本来の管轄区域外である多摩市の常備消防事務を受託する。これに伴い多摩市消防本部が合流。

1976年(昭和51年)

1月11日:東京消防庁本部新庁舎(千代田区大手町)が落成[11]

4月30日:災害救急情報センターを設置[11]


1982年(昭和57年)2月8日未明:ホテルニュージャパン火災に麾下全部隊が出場。翌9日には日航羽田沖墜落事故に出場。

1986年(昭和61年)8月22日:カメルーン共和国有毒ガスの噴出に全国で初めて国際消防救助隊を派遣する。同年10月にもエルサルバドル地震災害へ国際消防救助隊として特別救助隊を派遣し生存者2名を救出。

1990年(平成2年)8月1日:東京消防庁第九消防方面本部を設置。

1993年(平成5年)7月12日:北海道南西沖地震に特別救助隊と水難救助隊を派遣。

1995年(平成7年)

1月17日阪神・淡路大震災に特別救助隊を派遣。

3月20日地下鉄サリン事件に出場。


1996年(平成8年)

12月6日:長野県小谷村蒲原沢土石流災害に東京消防庁緊急消防援助隊が初出場(緊急消防援助隊の全国初の出場である)。

12月17日第二消防方面本部[12]及び第八消防方面本部[13]消防救助機動部隊(通称ハイパーレスキュー、2HR・8HR)を創設[14]


1997年(平成9年)

航空隊がインドネシア森林火災に名古屋市消防局と共に国際消防救助隊として初の消防防災ヘリコプターの派遣を行う。


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