東京帽子
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東京帽子(とうきょうぼうし)は、1892年明治25年)に西洋帽子の国産化を目的に創業した日本の製帽企業。日本製帽の後身、オーベクスの前身。目次

1 概要

2 沿革

3 脚注・出典

4 関連項目

5 外部リンク

概要

断髪令発令後、西洋式の帽子の需要が高まったことから、三井物産益田孝が国産化を計り、渋沢栄一らが出資して1887年、東京府小石川村氷川下(現・文京区氷川下)に「有限責任日本製帽会社」を設立し、イギリスから製帽技師ナサニエル・ウートンを招いて山高帽の製造を始めたが、失火による工場焼失などもあって売り上げが延びず、1892年に解散した[1][2][3]。ウートンと輸入業務等担当に雇った米国人も帰国させた[3]

同年12月に、日本製帽の権利義務一切を継承するかたちで、改めて「東京帽子株式会社」が設立され、渋沢のほか、馬越恭平、喜谷市郎右衛門(売薬商[4])らが投資し、渋沢が取締役会長、益田克徳らが取締役に就任した[3][5]。1985年にオーベクスに社名変更し、2007年に帽子事業をオーロラ(1993年創業)に譲渡。
沿革

1889年 - 有限責任日本製帽会社設立

1892年 - 東京帽子株式会社を設立

1895年 - 益田克徳、製帽事業調査と新機械購入のため欧米出張

1896年 - ファーボデー機着荷、試運転開始

1901年 - 浜谷帽子、帝国製帽、明治製帽、大阪帽子など新規参入増加により競争が激化し、相場が下落し、生産調整に入る。

1903年 - 内国勧業博覧会にて帽子の一等賞となる。

1907年 - 東京勧業博覧会にて名誉銀碑受賞。

1908年 - 明治製帽(本所区柳島)買収。

1909年 - 渋沢栄一取締役会長辞任。

1911年 - 馬越恭平取締役会長就任。

1914年 - 岩井商店に代理店業務を任せる。東京大正博覧会にて名誉大賞受賞。

1916年 - 本社を本所区柳島元町へ移転。

1918年 - 大阪府東成郡生野村に大阪分工場建設。

1923年 - 関東大震災で本所工場の大半を焼失。。

1926年 - 日本産業協会より製帽事業、功績表彰を受ける。

1927年 - 金融恐慌起こり、市況悪化。

1928年 - 投げ売り続出により価格下落し、同業者による生産調節の申し合わせ

1929年 - 労働争議によりストライキ突入。

1930年 - 昭和天皇中折れ帽子を献上

1934年 - 軍需品受注増える。

1994年 - 満州帝国皇帝にシルクハット、ベロアー中折れ帽子を献上

1938年 - 機関誌「東京ハット」発行。
国民帽

1940年 - 東京帽子販売株式会社設立。国民服令の発令により国民帽製造始まる。

1941年 - 今村信吉(今村繁三の弟)取締役社長就任。陸海軍両省へ国防献金。

1944年 - 軍命により東邦製帽と合併

1945年 - 東京大空襲などで全工場焼失

1946年 - 縫製工場竣工、羽布ピケ帽の製造開始

1947年 - 本社を日本橋堀留へ移転

1949年 - 東京証券取引所に株式を上場

1950年 - 米国向けファー婦人帽体積み出し

1951年 - パナマ帽製造開始

1952年 - 米国ステットソン社と技術援助契約し、ステットソン・ハット発売開始。販売機関として墨田商事を設立

1955年 - フェルト帽の販売急減し、布帛帽子、強化プラスチック製(FRP)安全帽の製造開始

1955年 - テクノ製品の第一号として給油用フェルトパッキン製造販売開始。

1958年 - シャツ製造、マーキングペン用フェルトペン先生産開始

1960年 - 1960年ローマオリンピック日本選手団帽子を製造

1985年 - 「オーベクス」へ改称

2007年 - 帽子事業をオーロラへ譲渡

脚注・出典

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^ 東京帽子(株)『東京帽子八十五年史』(1978.11)渋沢社史データベース
^ 事業名:東京帽子株式会社 東京帽子株式会社柳島分工場公益財団法人渋沢栄一記念財団


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