東京大賞典
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東京大賞典
Tokyo Daishoten
[1]
第69回東京大賞典(2023年12月29日)
開催国日本
主催者特別区競馬組合南関東公営
競馬場大井競馬場
創設1955年10月16日
2023年の情報
距離ダート2000m
格付けGI
賞金1着賞金1億円

出走条件サラブレッド系3歳以上選定馬(国際交流
負担重量定量(3歳56kg、4歳以上57kg)
牝馬2kg減、南半球産3歳2kg減
出典[2]
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第51回東京大賞典(2005年12月29日)ゴール前直線の様子第52回東京大賞典(2006年12月29日 ブルーコンコルド優勝)第55回東京大賞典(2009年12月29日 サクセスブロッケン優勝)第56回東京大賞典(2010年12月29日 スマートファルコン優勝)2014年にホッコータルマエが勝利した時の優勝レイ

東京大賞典(とうきょうだいしょうてん)は、特別区競馬組合大井競馬場で施行する地方競馬重賞競走である。格付けはGI。競馬番組表では「農林水産大臣賞典(国際交流) 東京大賞典」と表記される[2]

副賞は農林水産大臣賞、特別区競馬組合管理者賞、日本中央競馬会理事長賞、地方競馬全国協会理事長賞、日本馬主協会連合会長奨励賞、東京都馬主会理事長賞、日本地方競馬馬主振興協会会長賞(2022年)[3]
概要

大井競馬はもとより、日本ダート競馬の1年を締め括る総決算レースである[4][5]

1955年に「秋の鞍(あきのくら)」の名称で創設[6]され、春の鞍(のちの東京ダービー)・春の特別(のちのアラブダービー)・秋の特別(のちの全日本アラブ大賞典)とともに大井競馬場の四大競走として位置付けられた[7]。第1回はダート2600mで施行され、1着賞金は100万円であった[注 1]。その後、競走名は1964年に現名称となり、施行距離は幾度かの変遷を経て、1998年からはダート2000mで定着。南関東公営競馬では1978年に新設された帝王賞と共に、サラブレッド系古馬の2大競走としても位置づけられている。

開催時期は1964年から12月下旬で定着。1999年からは開催日も12月29日で固定され、南関東公営競馬のみならず日本競馬の1年を締め括る競走として定着した[10]

1995年より中央・地方全国交流競走に指定[11]され、日本中央競馬会(JRA)および他地区地方競馬所属馬も出走可能になった。1997年には統一GI(南関東G1)に格付け、2011年からは外国馬も出走可能な国際競走に指定され、あわせて地方競馬で施行する競走としては初めての国際GIに格付けされた(後述)。

現名称となった1964年は、有馬記念を模したグランプリ競走[注 2]として、ファン投票で出走馬を選出した。

2019年には売り上げがKEIRINグランプリを上回る56億627万5800円に達し[14]、1レースの売り上げとしては中央競馬を除く公営競技(地方競馬・競輪・競艇・オートレース)で最大規模の競走に成長した。2020年、2021年とも売り上げ記録を更新し2021年は69億5320万8900円となった[15][16]。ただし、2022年は対前年比でダウンし62億7471万1900円(前年比90.2%)に留まった[17]
国際GI格付の取得、国際的評価

特別区競馬組合は2010年10月18日に、本競走を2011年から国際競走として施行すること、および日本グレード格付け管理委員会から国際GIの格付を受けたことを発表した[18]。国際GIに格付けされた競走は、地方競馬として初めてとなる[19]

2011年現在の規定では、ジャパンカップダート(現:チャンピオンズカップ)に予備登録した外国調教馬は東京大賞典にも自動的に予備登録され、輸送費及び帰国時の渡航費用などは外国馬関係者の自己負担としていた。ただし、ジャパンカップダートと本競走に連続で出走する場合に限り、帰国時の輸送費や渡航費を特別区競馬組合が負担するとしていた[20]

国際競馬統括機関連盟(IFHA)が当該年度の年間レースレーティング(上位4着までの馬のレーティングの平均値)をもとに発表する「世界のトップ100GIレース」では、2017年に86位タイにランクインした[21]ほか、2023年には93位タイにランクインした[22]
競走条件

以下の内容は、2023年[2]のもの。
出走資格
サラブレッド系3歳以上選定馬(出走可能頭数:最大16頭)

外国馬の出走がない場合の中央競馬所属馬の出走枠は7頭。

負担重量
定量(3歳56kg、4歳以上57kg、牝馬2kg減、南半球産3歳馬2kg減)

選定後に所属変更した馬は出走できない(南関東地区所属馬は除く)。
優先出走権

地方競馬所属馬は、同年に行われる下表の競走で所定の成績をあげた馬に優先出走権が付与される[2]

競走名格競馬場距離必要な着順
浦和記念JpnII浦和競馬場ダート2000m1・2着馬
勝島王冠南関東SII大井競馬場ダート1800m1着馬

浦和記念で他地区地方競馬所属馬が優先出走権を得た場合、南関東所属馬の出走枠を減らすことが定められている。
賞金等(2023年)

1着1億円、2着3500万円、3着2000万円、4着1000万円、5着500万円[2]、着外手当30万円[23]

1着賞金1億円は、地方競馬で開催される重賞では、JBCクラシックと並んで最高額。

生産牧場賞は150万円[2]
過去の賞金額
中央競馬地方競馬全国指定交流競走に指定された1995年以降

回数総額賞金
(万円)1着賞金
(万円)2着賞金
(万円)3着賞金
(万円)4着賞金
(万円)5着賞金
(万円)
第41回(1995年)1億3,6008,0002,8001,600800400
第42回(1996年)
第43回(1997年)1億3,7708,1002,8351,620810405
第44回(1998年)1億4,175972648
第45回(1999年)1億4,0008,0002,8001,600960640
第46回(2000年)1億4,4001,8401,120
第47回(2001年)1億3,6001,600800400
第48回(2002年)
第49回(2003年)
第50回(2004年)
第51回(2005年)
第52回(2006年)
第53回(2007年)
第54回(2008年)
第55回(2009年)
第56回(2010年)
第57回(2011年)1億1,9007,0002,4501,400700350
第58回(2012年)
第59回(2013年)
第60回(2014年)
第61回(2015年)1億3,6008,0002,8001,600800400
第62回(2016年)
第63回(2017年)
第64回(2018年)
第65回(2019年)
第66回(2020年)
第67回(2021年)
第68回(2022年)1億7,0001億3,5002,0001,000500
第69回(2023年)

歴史
年表

1955年 - 4歳以上の競走馬による重賞競走「秋の鞍」の名称で創設、大井競馬場・ダート2600mで第1回が施行された。

1956年 - 施行月を11月に変更。

1962年 - 施行距離をダート3000mに変更。

1964年

名称を「東京大賞典」に変更。

施行月を12月に変更。


1972年 - 前年に施行予定だった第17回を、
馬インフルエンザの影響により3月に順延して開催。

1976年 - 1着賞金が3500万円に増額。

1980年 - 1着賞金が3800万円に増額。

1984年 - 1着賞金が3500万円に減額。

1985年 - 1着賞金が3400万円に減額。

1987年 - 地方競馬では初となる前日発売が実施される[24]

1988年 - 1着賞金が4000万円に増額。

1989年

1着賞金が4500万円に増額。

施行距離をダート2800mに変更。


1990年 - 1着賞金が5200万円に増額。

1991年 - 1着賞金が6000万円に増額。

1992年 - 1着賞金が6800万円に増額。

1994年 - 1着賞金が6500万円に減額。

1995年

1着賞金が8000万円に増額。

中央・地方全国交流競走に指定。


1997年

1着賞金が8100万円に増額。

ダート競走格付け委員会によりGI(統一GI)[注 3]に格付けされる。


1998年

施行距離をダート2000mに変更。

負担重量が1kg増加。


1999年

1着賞金が8000万円に減額。

同年より、施行日が「12月29日」となる。


2001年 - 馬齢表記を国際基準へ変更したのに伴い、競走条件を「3歳以上」に変更。

2002年 - 売得金額が24億3706万2000円を記録し、1レースの売上としては地方競馬史上最高となった。当日の入場者数は59210人を記録した。

2003年

6歳以上の負担重量が4・5歳と同じく牡馬・?馬56kg、牝馬54kgから牡馬・?馬57kg、牝馬55kgに変更。

中央競馬の施設で勝馬投票券を発売。


2005年 - アジュディミツオーが史上初の連覇達成。

2007年

日本のパートI国昇格に伴い、格付表記をJpnIに変更。同時に南関東グレードは併記しないこととなった。

売得金額が25億20万7900円を記録し、1レースの売上としては地方競馬史上最高となった。当日の入場者数は39000人を記録した。


2010年 - JRA所属馬の出走枠を5頭から6頭に、南関東所属馬の出走枠を8頭から7頭にそれぞれ変更。

2011年

1着賞金が7000万円に減額。

国際競走に変更され、外国馬が8頭まで出走可能となる[20]

格付表記をGI(国際格付)に変更[20]

当年より東京スカパラダイスオーケストラ作曲の国際GI専用(実質的に本競走専用)のファンファーレが使用される。

スマートファルコンが史上2頭目の連覇達成。


2013年 - 売得金額が26億824万5900円を記録し、1レースの売上としては地方競馬史上最高となった。当日の入場者数は41410人を記録した。

2014年

初の外国調教馬として、ソイフェットが出走(16頭中16着)[25]

ホッコータルマエが史上3頭目の連覇達成。


2015年

1着賞金が8000万円に増額。

売得金額が27億4963万900円を記録し、1レースの売上としては地方競馬史上最高となった。また、1日の売得金額も48億2683万8300円を記録し、同年11月3日のJBC開催日を上回った。当日の入場者数は34076人を記録した。


2016年

外国馬が出走しない場合の中央競馬所属馬の出走枠が1頭増えて7頭となる[26]

売得金額が37億3269万5200円を記録し、1レースの売上としては地方競馬史上最高となった。また、1日の売得金額も61億9493万3590円を記録し、地方競馬としては初めて1開催日の売得金額が60億円を超えた。当日の入場者数は34601人を記録した。


2017年 - 売得金額が42億7307万1200円を記録し、前年の記録を塗り変えて地方競馬史上最高となった。また、1日の売得金額も70億4365万7260円を記録し、地方競馬としては初めて1開催日の売得金額が70億円を超えた。当日の入場者数は35221人を記録した。

2018年 - 売得金額が46億3240万4400円を記録し、前年の記録を塗り変えて地方競馬史上最高となった。また、1日の売得金額も79億4389万4850円を記録し、地方競馬としては初めて1開催日の売得金額が75億円を超えた。当日の入場者数は39330人を記録した。

2019年

当年よりテレビ生中継をフジテレビBSフジで実施[27]

売得金額が56億627万5800円を記録し、前年の記録を塗り変えて地方競馬史上最高となった。また、初めて同年のKEIRINグランプリ(52億1579万6700円)の売り上げを上回った。また、1日の売得金額も92億5853万8550円を記録し、地方競馬としては初めて1開催日の売得金額が90億円を超えた。当日の入場者数は47614人を記録した。

オメガパフュームが史上4頭目の連覇達成。


2020年

売得金額が60億7444万7400円を記録し、前年の記録を塗り変えて地方競馬史上最高となった。当日の入場は事前申込制による抽選を実施し、入場者数は954人を記録した。

オメガパフュームが史上初の3連覇。日本国内における、国際G1の同一タイトル3連覇は史上初(中央競馬含む)。


2021年

当年よりフジテレビ、BSフジに加えてJRAのG1が開催される競馬場を放送エリアに持つFNN系列の東海テレビ関西テレビ(カンテレ)でもテレビ生中継を実施[28]

売得金額が69億5320万8900円を記録し、前年の記録を塗り変えて地方競馬史上最高となった。


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