東京大学法学部(とうきょうだいがくほうがくぶ、英称:Faculty of Law, The University of Tokyo)は、東京大学の後期課程に設置される法学部である。また、東京大学大学院法学政治学研究科(とうきょうだいがくだいがくいんほうがくせいじがくけんきゅうか、英称:Graduate Schools for Law and Politics, The University of Tokyo)は、同大学大学院に設置される研究科の一つ。
法学部と法学政治学研究科は一体となって運営されているため、この記事で合わせて解説する。
沿革
略歴東京帝国大学法文科大学本館(1900年)教室内部(1900年)
法学部は1877年の東京大学((旧)東京大学)設立時からある学部の一つであり、1885年には文学部から移管された政治学及理財学科を統合して「法政学部」と改称されたが、翌1886年には帝国大学法科大学に改編(1897年以降は東京帝国大学法科大学)され法律学科・政治学科が設置された(その後、政治学科から経済学科・商業学科が分離)。1919年には分科大学制が廃止されて東京帝国大学法学部となり、経済学科・商業学科が経済学部として分離独立した。新制大学への移行後、1951年には従来の学科が類に改称された。
一方、大学院に関しては、1953年に新制大学院が設置された当初は、経済学部や文学部の一部も含む部局横断的な研究科として社会科学研究科が設置されていたが、1963年に改組されて法学政治学研究科が設置された。その後の大学院重点化の際には、法学政治学研究科が東京大学で最初に重点化された(1991年)。公法専攻・民刑事法専攻・基礎法学専攻・政治専攻の4専攻が設置されていたが、2004年の法科大学院設置に伴い現在の2専攻に再編された。 類によって必修科目に多少の相違が見られるが、他学部の学科ほどの差はない。進学振分けは類を区別せずに行い、3年に進学する前に各自の希望で類に分かれる。各類には定員は存在しないため、成績如何によらず学生は希望コースに進学可能であり、進学後の転類も可能である。また卒業後、他の類に学士入学し、1年で卒業することもできる。また少数ながら外部からの学士入学者も募集している。全体の定員は415名。 2017年度から新しいカリキュラムが施行され、各類のシステムや学習内容なども改編された[3]。 法学政治学研究科では、以下の2件が文部科学省の21世紀COEプログラムに採択されている。 法学政治学研究科では、以下の1件が文部科学省のグローバルCOEプログラムに採択されている。 法学部の講義は駒場開講科目も含め大教室で行われるものが多く、ゼミや一部の例外的な講義を除き出席確認は取られない。そのため授業にほとんど出席せずに卒業することも可能である。 成績はほぼ年2回の試験のみで決定され、評価は「優上・優・良・可・不可」の5段階。以前は試験の結果「不可」となった、あるいは試験を放棄・欠席するなどして単位が取得できなかった場合に、翌年度にもう一度当該科目の試験を受けなおせる「過年度試験」制度が存在したが、2002年度を最後に過年度試験は廃止された。現在は、翌年度に再度当該科目の履修登録を行うことで、通常の学期末試験を受験して単位を習得することが可能である。 成績優秀者を対象とした表彰制度が存在し、主領域と副領域の双方で取得単位中3分の2以上の「優」を得たものが「卓越」として表彰される。「卓越」に人数の定めはないものの、毎年10人ほどが受賞している。なお、公式には「首席」は存在しない。 2006年度進学者より演習(少人数のゼミ)が必修となった。 歴代法学研究科長および法学部長は以下の通り[4]。
年表
1871年9月 - 司法省明法寮設置。
1873年8月 - 開成学校に法学科を含む専門学課程が設置。
1874年5月 - 開成学校が東京開成学校に。法学科を含む専門学課程は本科に再編。
1875年5月 - 司法省明法寮が司法省法学校に。
1877年4月 - 東京開成学校法学科が東京大学法学部に改組。
1880年8月 - 東京大学法学部に学士研究科設置。
1883年6月 - 東京大学法学部に修業年限3年の別課法学科を設置(1886年4月に廃止)。
1884年1月 - 法学協会を設立。
1884年8月 - 東京大学法・文学部、本郷校地に移転。
1884年12月 - 司法省法学校が文部省所轄の東京法学校に。
1885年9月 - 東京大学法学部に東京法学校を統合。
1885年12月 - 政治学科・理財学科を文学部から法学部に移し法学部を法政学部と改称。
1886年3月 - 東京大学法政学部が帝国大学法科大学に改組。
1887年2月 - 国家学会を設立。
1887年9月 - 法律学科と政治学科の2学科制となる。
1891年8月 - 修業年限を3年から4年に延長。
1897年6月 - 帝国大学が東京帝国大学に改称。
1901年5月 - 緑会が創立される。
1905年8月 - 戸水事件が起こる。
1908年7月 - 政治学科から経済学科を分離。
1909年6月 - 商業学科を設置。
1914年7月 - 修業年限を4年から3年に短縮。
1916年1月 - 吉野作造教授が『中央公論』で「憲政の本義を説いて其有終の美を済すの途を論ず」を発表。
1918年12月 - 緑会弁論部学生らにより新人会結成(1929年に解散)。
1919年2月 - 法科大学が法学部に改組されるとともに、経済学科・商業学科が経済学部として分離独立。
1920年10月 - 憲法講座が2講座制となる(美濃部達吉教授が憲法第二講座を兼担)[1]。
1927年2月 - 宮武外骨らにより明治新聞雑誌文庫を設立[2]。
1935年2月 - 貴族院で美濃部達吉名誉教授の天皇機関説が攻撃される(4月著書発禁)。
1947年9月 - 東京帝国大学が東京大学に改称。
1949年5月 - 新制の東京大学法学部に改組。第1類(私法コース)、第2類(公法コース)、第3類(政治コース)を置く。
1953年3月 - 大学院の社会科学研究科設置。
1963年4月 - 社会科学研究科が改組され、法学政治学研究科設置(経済学研究科、社会学研究科と分離)。
1991年4月 - 大学院重点化。教員は法学部から大学院法学政治学研究科に所属変更。
2004年4月 - 法科大学院(大学院法学政治学研究科法曹養成専攻)設置に伴い、公法専攻・民刑事法専攻・基礎法学専攻・政治専攻の4専攻から総合法政専攻・法曹養成専攻の2専攻に改組。経済学研究科との連携により、公共政策大学院(公共政策学連携研究部・公共政策学教育部)設置。
2017年4月 - 第1類(法学総合コース)、第2類(法律プロフェッションコース)、第3類(政治コース)に類を改編。
教育および研究
組織
法学部
第1類(私法コース)
第2類(公法コース)
第3類(政治コース)
新第1類(法学総合コース)(旧2類に相当)
新第2類(法律プロフェッションコース)(旧1類に相当)
新第3類(政治コース)
法学政治学研究科
総合法政専攻(修士課程、博士課程)(法学・政治学系の研究者・教員・その他職業専門人を育成することを主たる目的とする)
実定法学大講座、基礎法学大講座、政治学大講座、協力講座(学際法学、学際政治学)
法曹養成専攻(法科大学院)(専門職学位課程)
私法系大講座、公法系大講座、法理論系大講座、法実務系大講座、協力講座(法と社会科学)
附属施設
法学政治学研究科附属
ビジネスロー・比較法政研究センター (IBC)
比較法政国際センター、ビジネスローセンター、外国法文献センターを統合して2006年に設置した。
近代日本法政史料センター
研究
21世紀COEプログラム
国家と市場の相互関係におけるソフトロー(2003年度)
先進国における《政策システム》の創出(2003年度)
グローバルCOEプログラム
国家と市場の相互関係におけるソフトロー(2008年度)
教育
歴代法学研究科長および法学部長
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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