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出典検索?: "東京大学の建造物"
本稿では東京大学の建造物(とうきょうだいがくのけんぞうぶつ)について解説する。 日本で初めて設立された当時としては近代的な大学である東京大学において、明治以降の日本における教育史を象徴する数多くの建造物が関東大震災や東京大空襲などによる被害から免れ、残存している。そのため、重要文化財や登録有形文化財となっている建築物も多い。さらに指定までは受けていないものの建築関係者に評価の高い建物などもある。本記事では、重要文化財や登録有形文化財となっている建築物を中心に東京大学のキャンパス内に現存している、もしくはしていた建造物に関して歴史的意義などを踏まえながら解説を行う。 本郷キャンパスには歴史のある建物が多く、東京都の登録有形文化財第1号である安田講堂をはじめ、正門(横にある門衛所も含む)、法文1号館、法文2号館、法学部3号館、工学部列品館、工学部1号館が登録有形文化財に登録されている。これらの建物のうち、正門以外は内田祥三の設計による建築である。これらは共通する特徴をもったゴシック様式の建物であるため、設計者の名前を取って内田ゴシックと呼ばれている。内田ゴシックは他にも医学部2号館(本館)など同キャンパス内に数多く存在する。
概説
本郷地区キャンパスの建造物
本郷キャンパス安田講堂(後ろの建物は理学部1号館)
門
正門
キャンパス西部にあり、本郷通りに面している。横にある門衛所も合わせて登録有形文化財に登録されている。1912年完成。設計は伊東忠太。
赤門(あかもん)
キャンパス南西部にあり、本郷通りに面している。同キャンパスの正門とよく間違われるが、正門ではない。旧加賀藩主前田家上屋敷の御守殿門であり、1827年に第12代藩主前田斉泰が第11代将軍徳川家斉の第21女、溶姫を迎える際に造られた[1]。建築様式としては薬医門であり、切妻造の本瓦葺となっている[2]。左右に唐破風造の番所を置いている[2]。国の重要文化財、旧国宝。転じて東京大学の俗称となっている(東京大学#赤門を参照)。2020年に両脇の番所の耐震基礎診断を行ったところ一部の耐震性能が低いことがわかり、赤門の耐震性能も低いおそれがあるため、2021年2月12日から閉鎖されており耐震診断が実施される[1]。
池之端門(いけのはたもん)
キャンパス東部にあり、不忍通りに出る。横山大観記念館や旧岩崎邸庭園に近い。
龍岡門(たつおかもん)
キャンパス南部にある門。1933年完成。設計は内田祥三。名称は門周辺の旧地名「龍岡町」(現・湯島四丁目)に由来する。近くに「鉄門」と呼ばれる門があったため、龍岡門の通称が鉄門であると混同している人が多い(龍岡門周辺に多くの施設をもつ医学部の通称が「鉄門」であることも影響している)。かつては門扉が付いていたが、門柱間を広げる工事を行う際に撤去され[注釈 1]、現在は門柱のみとなっている。龍岡門は常時開放されており、一般車両も入構できる。付近には医学部・薬学部の施設の他、大学本部(本部棟・第二本部棟)がある。医学部附属病院も近く、同病院に車で来院するときは龍岡門から入場することになる。
鉄門(てつもん)
龍岡門よりも東の医学部附属病院中央診療棟南側に、1879年から1918年まで存在していた門。1918年に鉄門の外側の民有地を大学が購入し、大学の敷地を門で区切っておく必要がなくなったため、撤去された。現在ある鉄門は、2006年5月31日に同位置に再建されたものである。なお、現在の正門が設置されるまでは、鉄門が本郷キャンパスの正門とされていた。かつて医学部本部棟がこの付近にあったため、「鉄門」は東京大学医学部、あるいは東京大学医学部医学科卒業者の代名詞となっている(東京大学#同窓会組織の鉄門倶楽部の解説を参照)。現在では、医学部教育研究棟内に「鉄門記念講堂」も存在する。
春日門
キャンパス南部にあり、春日通りに面している。2007年に既存の通用門を改修して設置された。
西片門
2007年完成。キャンパス西北部にあり、赤門や正門と同じく本郷通りに面している。工学部5号館の裏に位置している小さな門であり、歩行者専用となっている。東大前駅から工学部地区へ行く場合、以前は正門または弥生門を経由する必要があり、遠回りを強いられていたが、この門が設置されたことにより便利となった。なお、門の名称は周辺の地名に由来する。
懐徳門
2007年完成。大江戸線出入口そばに設置された。周囲には総合研究博物館、理学部2号館などがある。旧懐徳館洋館の煉瓦造の遺構が利用されている。@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .mod-gallery{width:100%!important}}.mw-parser-output .mod-gallery{display:table}.mw-parser-output .mod-gallery-default{background:transparent;margin-top:.3em}.mw-parser-output .mod-gallery-center{margin-left:auto;margin-right:auto}.mw-parser-output .mod-gallery-left{float:left;margin-right:1em}.mw-parser-output .mod-gallery-right{float:right}.mw-parser-output .mod-gallery-none{float:none}.mw-parser-output .mod-gallery-collapsible{width:100%}.mw-parser-output .mod-gallery .title,.mw-parser-output .mod-gallery .main,.mw-parser-output .mod-gallery .footer{display:table-row}.mw-parser-output .mod-gallery .title>div{display:table-cell;text-align:center;font-weight:bold}.mw-parser-output .mod-gallery .main>div{display:table-cell}.mw-parser-output .mod-gallery .gallery{line-height:1.35em}.mw-parser-output .mod-gallery .footer>div{display:table-cell;text-align:right;font-size:80%;line-height:1em}.mw-parser-output .mod-gallery .title>div *,.mw-parser-output .mod-gallery .footer>div *{overflow:visible}.mw-parser-output .mod-gallery .gallerybox img{background:none!important}.mw-parser-output .mod-gallery .bordered-images .thumb img{outline:solid #eaecf0 1px;border:none}.mw-parser-output .mod-gallery .whitebg .thumb{background:#fff!important}
正門
赤門
龍岡門と本部棟(中央)
鉄門
本部・共同利用施設
本部棟
1979年完成。設計は丹下健三。龍岡門のそばにある。その名の通り、大学本部として使用されている。地上12階建ての高層建造物であり、完成当時は東大構内では珍しい存在であった。
第二本部棟
第二本部棟理学部5号館として1976年に完成した。設計は丹下健三。本部棟に隣接しており、建物のデザインも類似している。当初は理学部数学科・地学科(現 地球惑星環境学科)の校舎として使用されていたが、数学科は駒場Iキャンパスの数理科学研究科棟へ移転し、地学科は理学部(新)1号館へ移転したため、第二本部棟となった。現在は、大学本部関係の組織や公共政策大学院、留学生センター、情報学環の一部のプロジェクトなどが使用している。
安田講堂(正式名称:東京大学大講堂)
登録有形文化財。1921年に起工、1925年完成。設計は内田祥三、岸田日出刀。詳細は該当記事を参照。
総合図書館
総合図書館関東大震災でそれまでの煉瓦造りの図書館(1892年完成)が焼失したため、震災後にロックフェラー財団の寄付によって建設された。1928年(正面)と北東側と西側完成。設計は内田祥三。今後改築工事を行う予定があるため登録有形文化財には登録されていないが、他の建物同様、歴史を経た建物である。正面の本を並べたような外見が特徴である。第二次世界大戦後、新設された学部・研究所を収容するため、南側(赤門側)と南東側に大規模な増築が行われた。なお、増築部にも内田ゴシックのデザイン様式が用いられている。現在、南西側には史料編纂所が、北東側には大学院情報学環(旧 新聞研究所)が、南側(増築部)には教育学部が、南東側(増築部)には社会科学研究所が入っている。
中央食堂
中央食堂(本郷)1976年完成。安田講堂前広場の地下に設置されている。内部がドーム状の構造になっているのが特徴である。2017年まで宇佐美圭司の壁画《きずな》が飾られていた。
第二食堂
第二食堂1934年完成。設計は内田祥三。地下にプールがある。
山上会館
1986年完成。設計は前川國男。東京大学創立100周年記念事業の一環として、三四郎池畔の山上会議所跡地に建設された。会議室や教職員用の食堂などがある。また、龍岡門付近には山上会館龍岡門別館がある。会議室やレストランの運営は2018年時点、東急コミュニティーが受託している[3]。
広報センター
広報センター旧医学部附属病院夜間診療所、旧医師会事務局。龍岡門わきにある。1926年完成。設計は岸田日出刀。1995年に改修され、広報センターとなった。2003年度に東京都選定歴史的建造物に指定された。
コミュニケーションセンター
赤門脇にある。1910年に人力車の車庫として建設された建物を国立大学法人化後に改装した。現存する本郷地区キャンパス最古の建物であり(最古の校舎は理学部化学東館である)、東京大学全体でも総合研究博物館小石川分館に次いで古い建物である。東大グッズの他、大学の研究成果を生かした商品などが販売されている。
懐徳館
旧前田家邸宅であり、天皇の行幸を目的として和館(1905年完成、北沢虎造設計)および西洋館(1907年完成、渡辺譲設計)が建設され、日本庭園(懐徳館庭園
伊藤国際学術研究センター
伊藤雅俊セブン&アイ・ホールディングス名誉会長の寄附により、社会連携および国際交流拠点として2012年建設された。設計は香山壽夫。ホールやレストラン、会議室の他、政策ビジョン研究センター等が所在している。
体育施設
御殿下記念館(ごてんしたきねんかん)
三四郎池の東にあるスポーツ施設である。1977年の東京大学創立100周年記念事業の一環として1988年に建設された。設計は芦原義信。仮称は「本郷記念館」であり、当初は弥生キャンパスのグラウンドの一部を転用して建設する計画であったが、その後現在のように変更された。建物は御殿下グラウンドの地下に建設されており、プール、ジムナジアム、トレーニングルーム、クライミングウォールなどの施設がある。