東京国立博物館
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東京国立博物館
Tokyo National Museum


本館
.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left} 東京国立博物館の位置
施設情報
正式名称東京国立博物館
愛称東博、トーハク
前身文部省博物館、帝室博物館
専門分野日本と東洋の文化財
収蔵作品数120,812件(2022年度)[1]
来館者数124万7,750人(2022年度)[1]
館長藤原誠
管理運営独立行政法人国立文化財機構
建物設計本館 - 渡辺仁
東洋館 - 谷口吉郎
表慶館 - 片山東熊
法隆寺宝物館 - 谷口吉生
黒田記念館 - 岡田信一郎
延床面積78,471m2(2022年度時点)[1]
開館1872年明治5年)
所在地110-8712
東京都台東区上野公園13番9号
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度43分8.6秒 東経139度46分36秒 / 北緯35.719056度 東経139.77667度 / 35.719056; 139.77667座標: 北緯35度43分8.6秒 東経139度46分36秒 / 北緯35.719056度 東経139.77667度 / 35.719056; 139.77667
アクセスJR・東京メトロ上野駅
京成本線京成上野駅より徒歩
外部リンクwww.tnm.jp
プロジェクト:GLAM
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東京国立博物館(とうきょうこくりつはくぶつかん)は、日本東洋の文化財(美術品、考古遺物など)の収集保管、展示公開、調査研究、普及などを目的として独立行政法人国立文化財機構が運営する、日本の国立博物館である。東京都台東区上野恩賜公園内にある。1872年明治5年)に創設された日本最古かつ最大の博物館であり、本館、表慶館、東洋館、平成館、法隆寺宝物館の5つの展示館と資料館その他の施設からなる。

2023年4月時点で、国宝89件、重要文化財649件を含む収蔵品の総数は約12万件[2]。日本政府は同年5月時点で美術・工芸品のうち902件を国宝に、10,820件を重要文化財に指定しているので、当館は美術・工芸品の国宝の約10%、重要文化財の約6%を収蔵していることになる[3]。また2023年3月末時点でこれとは別に、国宝54件、重要文化財260件を含む総数2,668件の寄託品を収蔵している[1]。これらの収蔵品のうち総合文化展(平常展)に一度に展示している文化財の件数は約3,000件で、それぞれの文化財は4週間から8週間ごとに展示替えされており[2]、2020年度の平常展の展示替え件数は5,041件、展示総件数は9,048件[4]
沿革
草創期明治5年湯島聖堂博覧会関係者の記念写真、背後に展示物の一つであった名古屋城の金鯱が見える(横山松三郎撮影)[注 1]明治5年湯島聖堂博覧会関係資料:左から観覧券、広告、預り証書ウィーン万国博覧会の日本館

1872年(明治5年)3月10日、その前年に設置された文部省博物局による最初の「博覧会」として湯島聖堂博覧会が、東京・湯島湯島聖堂大成殿で20日間開催された[5]。当時の広告や入場券には「文部省博物館」と明記されており、これが日本の「博物館」の始まりであった[要出典]。東京国立博物館はこの年を創設の年としている[5]。展示品は、翌1873年(明治6年)開催のウィーン万国博覧会への出品予定品が中心であった。当時の錦絵[6]に見られるように、会場にはガラスケースが所狭しと置かれ、書画、骨董、動植物の剥製や標本などが並べられており、展示品のなかでは名古屋城の金鯱(しゃちほこ)が人気を集めた。この博覧会は3月10日から20日間の会期を予定していたが、あまりの人気に入場制限をせざるをえないほどで、会期を再度延長し、4月末日まで開催された。総入場者数は15万人と推定されている[7][8][9]

1873年(明治6年)、「文部省博物館」は太政官正院の「博覧会事務局」(1872年設置)に併合され、場所も湯島から内山下町(現在の東京都千代田区内幸町)に移転した。この年は4月15日から3か月半にわたって博覧会が開かれ、博覧会終了後は毎月1と6の日に公開された。以後、上野に新しい博物館が建設される1881年までの展示はこの内山下町で行われた。なお、この当時の博物館は動物、植物、鉱物などの標本も収集展示の対象であった[10]

博物館の設置後まもない1872年8月、文部省により湯島聖堂の大講堂に書籍館(しょじゃくかん)が設けられた。これは、紅葉山文庫本、昌平坂学問所本など、旧幕府からの引き継ぎ書籍を収蔵するもので、日本における公立図書館の端緒である。書籍館は1874年に浅草蔵前に移転して「浅草文庫」と称した。この浅草文庫の蔵書約14万冊は、一部は内務省に移管されたが、大部分は1882年、上野に移転開館した博物館に引き継がれて、東京国立博物館の蔵書の基礎となった[11]

博物館設置の端緒となったウィーン万国博覧会は1873年5月1日から11月2日までの会期で開催。日本館には陶磁器、七宝、漆器、染織品などの伝統工芸品が展示され、日本庭園も造られた。日本館は当時の欧州における日本ブームもあり、好評であったと伝えられる。翌々年の1875年、博覧会事務局副総裁の佐野常民は大部のウィーン万国博覧会報告書を提出し、その中で大東京博物館設置の必要性を力説した[10][12]

1875年(明治8年)、「博覧会事務局」はふたたび「博物館」と改称され、内務省の管轄となった。「博物館」は一時「内務省第六局」と改称されたが、翌1876年(明治9年)、再度「博物館」に改称。同年、町田久成が博物館長に任命された。薩摩藩出身の官僚であった町田は、明治時代初期に博物館設置や文化財保護に尽力した人物である。東京国立博物館では彼を初代館長としており、博物館の裏庭には町田の顕彰碑が建立されている。なお、博物館の所管官庁は、1881年(明治14年)に農商務省、さらに1886年(明治19年)に宮内省へと変わった[13][14]1881年竣工の上野本館(東京名所 上野公園内国勧業第二博覧会美術館図、三代歌川広重筆)

1877年(明治10年)、上野の寛永寺本坊跡地(後に東京国立博物館の敷地となる)で第1回内国勧業博覧会が開催された。これは当時の「富国強兵殖産興業」の国策に沿って開催されたもので、この博覧会の展示館の1つである「美術館」は、日本で最初に「美術館」と称した建物として知られる。この「美術館」は、博覧会終了後も使用することを前提として煉瓦造で建設された。初代館長の町田久成は、内山下町の博物館は手狭であり、火災等の危険も大きいとして、博物館の上野公園への移転を陳情していたが、この1877年、太政官より上野移転の裁可を得た[13][15][16]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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