東京ムービー新社
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この項目では、かつて存在した株式会社東京ムービーについて説明しています。株式会社トムス・エンタテインメントのアニメーション制作事業部門および制作ブランド名については「トムス・エンタテインメント」をご覧ください。

株式会社東京ムービー(とうきょうムービー、1964年設立 - 1993年2月解散)は、かつて存在した日本アニメーション制作会社及びアニメ制作ブランド(後述)。
概要
設立経緯

1963年(昭和38年)、フジテレビ虫プロダクションが日本初の本格的なアニメのテレビシリーズ[注釈 1]鉄腕アトム』を制作し、放送を開始した。この成功を見たテレビ局と制作会社が続々とテレビアニメに参入して、テレビアニメブームが起こる。当時はテレビ局と制作会社が系列化しており、フジテレビは虫プロダクション、竜の子プロダクションピー・プロダクション。NETテレビ(現・テレビ朝日)は同一資本系列の東映動画(現・東映アニメーション)を抱えていた。TBSは既にTCJ(TCJ動画センターを経て、現在のエイケン)制作の『エイトマン』を放送していた。

TBSテレビはアニメの制作を更に望んでいたが、TCJに制作を発注したくてもフジテレビの『鉄人28号』を既に抱えたTCJは週2本の制作体制で余力はなく、別の制作会社に発注するしかなかった。1963年(昭和38年)、広告代理店「萬年社」を仲介役に[人形劇『伊賀の影丸』制作のために ⇒人形劇団ひとみ座の映画制作部門として設立された「東京人形シネマ」の藤岡豊に「人形を動かすのも絵を動かすのも同じだろう」という理由で、アニメーション制作を委託したことから、1964年(昭和39年)、アニメーション制作の新会社「株式会社東京ムービー」を発足した。

設立の際はTBSの出資を受け、当初はTBSテレビでの放送が多かった。初期の演出陣は長浜忠夫大隅正秋。文芸担当の今泉篤は藤岡の人脈で人形劇団出身者である。本社はTBS本社の一室から西新宿へ移転するが手狭となり、地下鉄南阿佐ケ谷駅に近い杉並区成田東へ移った。以後、杉並区は日本におけるアニメーション産業集積地の一角となった。
経営危機と外注化

第1回作品『ビッグX』を制作するも、大赤字を出し経営危機に陥る。人材の多くが人形劇出身者で占められていたため、アニメーション制作の経験者が少なく、外注や下請けアニメーターの言い値や枚数の誤魔化しが罷り通ったのが原因であった。経営破綻寸前に陥った東京ムービーは、テレビ制作会社国際放映(旧新東宝)の資本参加を受け、経営の立て直しを図ることになる。新社長には国際放映の阿部鹿三が就任し、創業者の藤岡は取締役制作部長に降格した。

1965年(昭和40年)、藤岡が東映動画の楠部大吉郎に声をかけ、楠部が代表となって有限会社エイプロダクション(以下Aプロ、現在のシンエイ動画株式会社)を設立。東映動画からクリエイターを招き入れることに成功する。『ビッグX』での経験から、制作体制の整備が目的であった。東京ムービーとAプロは業務提携の形を採り、東京ムービーは企画・管理を担当し、作画・撮影など実制作をAプロに委託する体制となる。以後、『オバケのQ太郎』『巨人の星』『アタックNo.1』等のヒット作を飛ばした。1971年(昭和46年)に国際放映から独立し、藤岡が社長に返り咲いた。
アメリカ進出

1975年(昭和50年)、アメリカ合衆国市場への進出を狙って新たに株式会社テレコム・アニメーションフィルムを設立する。1976年(昭和51年)、営業部門として株式会社東京ムービー新社(とうきょうムービーしんしゃ)を設立、株式会社東京ムービーを制作部門として分離した。同年、Aプロとの業務提携を解消した。Aプロはシンエイ動画株式会社として改組・商号変更して独立した。1984年(昭和59年)、アメリカABCテレビで『マイティ・オーボッツ』を放送した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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