東京ダイナマイト
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東京ビンゴビンゴダイナマイトジャパン」とは異なります。

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メンバー松田大輔
ハチミツ二郎
結成年1996年(初代)
2001年(二代目)
事務所トンパチ・プロ
オフィス北野
オスカープロモーション(ハチミツのみ、松田は引き続きオフィス北野)
フリー
吉本興業
活動時期1996年(2001年) -
師匠浅草キッド
出身新宿ラ・ママ
NSC東京校1期(ハチミツ)
出会い青木さやかの紹介
現在の活動状況テレビ・ライブなど
芸種漫才コント
ネタ作成者ハチミツ二郎
過去の代表番組笑いの金メダル
登龍門F
完売劇場
同期松田
タカアンドトシ
ブラックマヨネーズ
スピードワゴンなどハチミツ
品川庄司
浜ロン
西田幸治笑い飯)など
公式サイト公式プロフィール
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東京ダイナマイト(とうきょうダイナマイト)は、吉本興業に所属する日本お笑いコンビ

コントも演じるが、主に松田によるシュールなボケに対してハチミツがクールにツッコむスタイルの漫才を得意としており、M-1グランプリ2004・2009ファイナリストとなった。2024年3月24日をもって漫才師としての活動は休止している[1]
メンバー詳細は「松田大輔」および「ハチミツ二郎」を参照
松田 大輔(まつだ だいすけ、本名:杉 大輔〈すぎ だいすけ〉[2] (1977-03-02) 1977年3月2日(47歳) - )
主にボケ担当、立ち位置は向かって左。岐阜県揖斐郡大野町出身[3]。身長178cm、体重77kg血液型O型[3]干支はへび。うお座。趣味は、飲酒、サッカー釣り野球スノーボード[3]。特技はシュートボクシング[3]。ハイテンションでシュールなボケが特徴だがネタによっては松田もツッコむ場合もある。
ハチミツ 二郎(本名:高野 二郎〈たかの じろう〉[4] (1974-11-20) 1974年11月20日(49歳) - )
主にツッコミ・ネタ作り担当、立ち位置は向かって右。岡山県倉敷市出身[3]。身長177cm、体重100kg。血液型O型[3]。干支はとら。さそり座。趣味は世界旅行ビールプロレス(ルチャリブレのライセンスの取得)[3]。特技はプロレス[3]。クールなツッコミで松田のボケを受け流す。ネタによってはハチミツもボケに周りボケの場合もある。
概要

ハチミツが21歳の頃、パチンコ店で店員をしていた曽根卍(そねまんじ)と知り合い初代『東京ダイナマイト』を結成。新宿ラ・ママのオーディションで初舞台を踏む。1997年10月、浅草キッド主催のライブ・浅草お兄さん会にて優勝。その後も浅草お兄さん会と大川興業主催のライブ「すっとこどっこい」へレギュラー出演。しかし、ハチミツが社長を務めていたインディーズのお笑い事務所「トンパチ・プロ」の低迷期に初代は解散した。

新しい相方を探していたハチミツが、元・温泉こんにゃくアクロバットショー(5人組で、その中には青木さやかがいた)の松田と知り合い、松田が以前より「(ハチミツと)コンビを組みたい」と考えていたため意気投合。「トンパチプロ」の解散宣言と同時に現在のコンビ結成を発表し2001年、新生「東京ダイナマイト」がスタートした。それに伴ってマネージメントがオフィス北野預かりとなり、前後して浅草キッドと師弟関係を結んだ。

結成3年目の2004年M-1グランプリにおいて決勝進出(後述)。全国区での知名度を獲得後はゴールデンタイムのお笑い番組などにも出演し続け、当時の事務所の大先輩であり大師匠(師匠の師匠)に当たるビートたけしからは「ようやくウチから商品になる奴が出てきた」と高評価を受けていた。

2004年12月から不定期で『東京ダイナマイト先生』というトークライブを新宿ロフトプラスワンで開催しており、毎回スペシャルゲストが招かれている。2007年11月20日の「東京ダイナマイト先生vol.15 ハチミツ二郎お誕生日おめでとう記念大会?」で15回目を迎えた。2008年1月30日に16回目、同年3月27日に17回目をそれぞれ開催。一時期ハチミツはブログで「飽きたから辞めた」と綴っていたが、17回目から1年後の2009年3月26日には「復活」と称して18回目「東京ダイナマイト先生vol.18 ?もっと東京ダイナマイト先生?」を開いている。

2008年6月20日を以てハチミツがオフィス北野を退社(退社の理由は大師匠のたけしが『オレたちひょうきん族』(フジテレビ)を遅刻した際に放った「お化けが出た」と全く同じ言い訳をしたことや、その後会社で話し合いが持たれ「今後M-1グランプリで吉本勢に勝つには劇場で場数を踏むことが必要」と熱弁したら「だったら吉本でもどこでも好きな所行ってください」と突き放されたことなどが重なったという)。松田は広告契約の関係からすぐには退社できなかったが2009年3月、ハチミツに次いで退社した[5]。なお、退社から約10年後に行われたノンフィクション作家・田崎健太によるインタビュー内でハチミツが語ったところによると、昔からオフィス北野内では現場(芸人)とフロントの仲が悪くその状況を察した事務所の先輩であったつまみ枝豆から「(オフィス北野は)いつか駄目になる。お前たちはネタができる。俺とタカ坊(ガダルカナル・タカ)で殿と話をつけるから、抜けろ」と気を遣って辞めさせてくれたのが退社の真相だと明かしている[6]

2008年9月5日オスカープロモーションとのマネジメント契約を発表するも[7]2009年3月15日付でそのオスカーからも退社。松田も3月を以てオフィス北野を退社した。オスカー退社の理由は「M-1グランプリで4年連続準決勝進出に終わったのが相当悔しかったため、武者修行の旅に出たい」とのことで、オスカー側も「温かく見守ってあげたいと思います」と円満退社である旨をコメントしている[8]

2009年4月からは2人ともフリーとなる。


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