東京スポーツ
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%}

中日新聞東京本社が発行している「東京中日スポーツ」とは異なります。

東京スポーツ
TOKYO SPORTS PRESS
種類日刊紙
サイズブランケット判

事業者株式会社東京スポーツ新聞社
本社(東京都港区浜松町1-3→)
(東京都中央区築地3-5-10→)
東京都江東区越中島2-1-30
代表者太刀川恒夫(代表取締役会長)
酒井修(代表取締役社長兼編集局長)
創刊1960年(昭和35年)4月1日
前身やまと新聞
1886年10月7日 - 1945年5月24日)
新夕刊
(1945年10月1日 - 1958年4月15日)
国民タイムズ
(1958年4月16日 - 1960年3月31日)
帝都日日新聞
(1932年7月1日- 1969年6月30日)
言語日本語
ウェブサイトhttps://www.tokyo-sports.co.jp/
テンプレートを表示

東京スポーツ(とうきょうスポーツ)は、東京スポーツ新聞社(とうきょうスポーツしんぶんしゃ)が発行する日本夕刊スポーツ新聞である。略称は「東スポ」(とうスポ)。

休日は原則休刊[注 1][注 2]GWは5月2日 - 4日頃に、年末年始は12月28日頃に250円 - 300円のGW特大号並びに新春特大号(お正月特別号)がそれぞれ発売され、以後GW並びに正月三が日が過ぎるまで休刊[注 3][注 4]。その誤報ガセネタ・飛ばし記事の多さから、「飛ばしの東スポ」の異名を取る。
概要

明治時代に東京で創刊した老舗の大衆紙やまと新聞』の流れを汲む(その後身で帝都日日新聞から改題した現存のやまと新聞の系譜も含む)。同紙最後のオーナー暴力団からプロレス界まで幅広く顔が利いた右翼児玉誉士夫がそのままオーナーとなり、初代社長には大映社長で児玉と親交があった永田雅一が就任。児玉の死後は元側近太刀川恒夫が社長になった(現・会長)。そうした経緯から、概ね保守的・右派的な論調を持っている。日付欄は「平成○○年(20○○年)」のように元号西暦)と表記している。詳細は「やまと新聞#やまと新聞」および「永田雅一#その他の事業・事跡」を参照「やまと新聞社#帝都日日新聞」および「児玉誉士夫#岸信介」も参照

東スポは、創刊当時からプロレスを大きく扱っており、他に競馬性風俗関係の記事に強い。

かつては東京都中央区築地日刊スポーツ新聞社東京本社内に本社・編集局を構え、印刷も同所にある日刊スポーツ印刷社(現・日刊スポーツPRESS)で行われていたが、1988年(昭和63年)6月、旧やまと新聞創刊時の版元日報社の後身毎日新聞グループと提携。毎日の印刷子会社東日印刷[注 5]が東京都江東区越中島に新築した本社ビルへ移転、印刷委託先も東日印刷に切り替えた。北海道発売分に関しては、2009年6月29日から、北海道北広島市の毎日新聞北海道センターでの現地印刷へ切り替えられたものの、2017年12月28日分をもって北海道における現地印刷や販売は終了した。「東京日日新聞#経営者交代・大毎による買収」および「条野採菊#生涯」も参照
販売価格

2008年11月5日号(11月4日発行)から、1部売りが120円から130円に、2014年4月2日号(4月1日発行)からは130円から140円に、2019年5月21日号(5月20日発行)からは140円から150円に、2021年9月28日号(9月27日発行)からは150円から160円に、2023年4月4日号(4月3日発行)からは160円から180円に値上げした。

2024年3月2日付の社告で、4月6日付(4月5日発行)より、毎週金・土曜日(および祝日の3日間開催前日の日曜日)夕刊で発行する『週末競馬確定紙面』に限り180円から250円に値上げすると発表した[1]
プロレスの東スポ

1980年代半ばまでは、赤い見出しとインクで手が汚れるプロレス新聞として知られたが、1面に来るのはたいてい男子プロレスの記事だった。女子プロレスは最大手興行団体の全日本女子プロレスデイリースポーツ神戸新聞社[注 6])の支援を受けていたこともあり東スポでは1990年代中頃まで扱っていなかった。詳細は「全日本女子プロレス#概要」および「デイリースポーツ#格闘技」を参照

男子プロレスが新日本プロレス全日本プロレス国際プロレスの3団体だった時代には、「プロレスのテレビ中継は東スポが独占しろ」の社命のもと、キャップの桜井康雄テレビ朝日ワールドプロレスリング』、デスクの山田隆日本テレビ全日本プロレス中継』、記者の門馬忠雄が東京12チャンネル(現:テレビ東京)『国際プロレスアワー』の解説をそれぞれ担当[2]。これにより東スポはプロレス報道最大手の地位を確立し、競合紙の『スポーツ毎夕』(旧・萬朝報→東京毎夕新聞)を廃刊に追い込んだ。「萬朝報#沿革」も参照

1974年(昭和49年)にはプロボクシング表彰制度に倣って男子3団体の発展に貢献した人物を表彰し、年間最高試合を決めるプロレス大賞を設けた。「プロレス大賞#歴代MVP受賞者」も参照

東京スポーツにおいてプロレス記事が多い理由は、夕刊紙であるが故に、野球などの記事での試合速報は他社と勝負にならない[注 3][注 7]ことと、プロレスは八百長疑惑もあり、デイリー以外の朝刊スポーツ紙が扱わなかったためであった。その後「紫色のにくい奴」[注 8]「リングを染める鮮血のから、王者の風格のパープルへ」をキャッチフレーズに、青紫の見出しの紙面に刷新。詳細は「プロレス#マスコミにおける取り扱い」を参照

1986年、元横綱の輪島大士が全日プロ入りすると同時に、東スポが印刷を委託していた日刊スポーツも「バトル面」を設け、プロレス報道に新規参入。東スポの優位性は低下した[注 9]。 「日刊スポーツ#バトル面」も参照

1988年、全日本プロレスや新日本プロレスがゴールデンタイムの中継から撤退するなどしてプロレスがマイナー化すると、芸能ゴシップなどが1面に掲載されることが多くなる。詳細は「全日本プロレス中継#ローカル枠・プライムタイムへの移行、そして深夜枠へ」および「ワールドプロレスリング#ゴールデン撤退、夕方・深夜枠へ」を参照

全女の経営が傾きかけた1995年(平成7年)以降、プロレス大賞に女子の部が設けられるなど、東スポの女子プロレスに対する扱いも変化してきている。しかし、2000年代には女子プロレスという種目そのものの衰退に伴い、最高賞である「女子プロレス大賞」が5年連続で該当者なしとなる等問題も抱えている。詳細は「女子プロレス#歴史」を参照
競馬トウスポ


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:211 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef