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有限会社アニメフイルム種類特例有限会社
本社所在地 日本
〒188-0003
東京都西東京市北原町3-6-9
設立1998年7月
業種情報・通信業
法人番号8012702005177
事業内容アニメーション制作
代表者熊谷正弘、古林一太
資本金550万円
従業員数37名
外部リンク ⇒http://www.animefilm.co.jp/
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有限会社アニメフイルムは、アニメーション制作のうち、撮影作業の請負を主な事業内容とする日本の企業。 旧虫プロダクションの撮影出身の清水達正が、日本初の動画撮影スタジオとして設立した「株式会社東京アニメーションフィルム」(とうきょうアニメーションフィルム・以下、東京アニメーションフィルム)がその前身である。東京アニメーションフィルムはこれまで、日本アニメーション、シンエイ動画、東京ムービー新社(現:トムス・エンタテインメント東京本社東京ムービー事業本部)などで撮影を手がけてきた。 1998年、東京アニメーションフィルムから設備と業務を引き継ぎ、新たに「有限会社アニメフイルム」を発足し現在に至る。2000年頃には旭プロダクションから梅田俊之を中心とした多数の撮影スタッフが移転した。 2023年現在、田無スタジオはシンエイ動画作品、上井草スタジオはバンダイナムコフィルムワークス(サンライズブランド)とその子会社であるバンダイナムコピクチャーズ作品を中心にそれぞれ撮影を手がけている。 田無スタジオの隣(同敷地内)にはエクラアニマル(旧シンエイ動画の本社兼スタジオ跡地)が所在している。
概要・沿革
制作スタジオ
田無スタジオ(本社) - 東京都西東京市北原町3-6-9
上井草スタジオ - 東京都杉並区井草5-18-15
主な参加作品
東京アニメーションフィルム時代
テレビアニメ
巨人の星(1968年-1971年)
アタックNO.1(1969年-1971年)
天才バカボン (1971年-1972年)
ルパン三世 (TV第1シリーズ) (1971年-1972年)
オバケのQ太郎シリーズ
新オバケのQ太郎 (1971年-1972年)
オバケのQ太郎 (第3作、1985年-1987年)
ど根性ガエル (1972年-1974年)
ジャングル黒べえ(1973年)
エースをねらえ! (1973年-1974年)
空手バカ一代 (1973年-1974年)
はじめ人間ギャートルズ (1974年-1975年)
元祖天才バカボン (1975年-1977年)
ガンバの冒険(1975年)
恐竜探険隊ボーンフリー (1976年-1977年)
花の係長(1976年)
合身戦隊メカンダーロボ(1977年)
無敵超人ザンボット3(1977年-1978年)
野球狂の詩 (1977年-1979年)
おれは鉄兵 (1977年-1978年)
無敵鋼人ダイターン3(1978年-1979年)
未来少年コナン (1978年)
一球さん (1978年)
機動戦士ガンダム(1978年-1980年)
ドラえもん (1979年-2005年)
科学冒険隊タンサー5 (1979年-1980年)
おじゃまんが山田くん (1980年-1982年)
怪物くん(1980年-1982年)
忍者ハットリくん (1981年-1987年)
ゲームセンターあらし (1982年)
フクちゃん (1982年-1984年)
パーマン(1983年-1985年)
さすがの猿飛 (1982年-1984年)
あした天気になあれ (1984年-1985年)
らんぽう(1984年)
プロゴルファー猿(1985年-1988年)
ハイスクール!奇面組(1985年-1987年)
がんばれ!キッカーズ (1986年-1987年)
きまぐれオレンジ☆ロード (1987年-1988年)
ウルトラB(1987年-1989年)
ビリ犬 (1988年-1989年)
おぼっちゃまくん(1989年-1992年)[注釈 1]
笑ゥせぇるすまん (1989年-1992年)
江戸っ子ボーイ がってん太助 (1990年-1991年)
少年アシベ (1991年)
サラダ十勇士トマトマン (1992年-1993年)
名探偵コナン (1996年-)[注釈 2]
HARELUYA II BOY (1997年)
OVA
機甲猟兵メロウリンク (1988年-1989年)