東亜国内航空
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日本エアシステム
Japan Air System

IATA
JDICAO
TDA(1971-1988)
JAS(1988-2004)コールサイン
TOA DOMES(1971-1988)
AIR SYSTEM(1988-2004)

設立1964年4月15日(日本国内航空)
ハブ空港東京国際空港
大阪国際空港
焦点空港成田国際空港(国際線のみ)
関西国際空港
マイレージサービスJASマイレッジサービス(JMS)(日本航空(JAL)との経営統合に伴い、2003年4月1日付で「JALマイレージバンク(JMB)」に統合され、消滅。)
会員ラウンジレインボーラウンジ
保有機材数85機[1]
就航地日本国内46都市
日本国外5都市
本拠地 日本東京都大田区羽田空港三丁目5番1号
外部リンクJAS - 日本エアシステム(インターネットアーカイブ)
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株式会社日本エアシステム
JAPAN AIR SYSTEM CO.,LTD
日本エアシステムのエアバスA300B4
種類株式会社
市場情報東証JQ 9203
2002年9月24日上場廃止
略称JAS
本社所在地 日本
144-0041
東京都大田区羽田空港三丁目5番1号
設立1964年4月15日
業種空運業
事業内容定期航空運送事業・不定期航空運送事業
航空機・付属品の売買・修理・賃貸業
代表者代表取締役社長 森川實(2003年6月 - 2004年3月)
資本金約615億円(2004年4月1日まで)
従業員数約6,000人(うち乗務員約2,000人/2004年3月31日まで)
決算期3月
主要株主東京急行電鉄株式会社
日本航空株式会社
近畿日本鉄道株式会社[2]
※いずれも2002年10月の日本航空との経営統合以前。
主要子会社日本エアコミューター株式会社
株式会社北海道エアシステム
株式会社ハーレクィンエア
外部リンク日本エアシステム(インターネットアーカイブ)
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株式会社日本エアシステム(にほんエアシステム、: JAPAN AIR SYSTEM CO.,LTD、JAS)は、かつて日本東京都大田区に本社を置いていた大手航空会社航空会社コードはJAS/JD、コールサインはエアシステム(: Air System)。
会社概要

1971年5月15日日本国内航空東亜航空が合併した東亜国内航空(とうあこくないこうくう、: Toa Domestic Airlines:TDA)として発足し、1988年に国際線進出に際して社名を日本エアシステムに変更した。なお、東亜国内航空時代の航空会社コードはTDA/JD、コールサインはトーアドメス(Toa Domes)だった。

東京急行電鉄を実質的な親会社としており、45/47体制の下、国内準幹線と地方ローカル線を主力とした路線網を運航し、国際線と国内幹線を担う日本航空(JAL)、国内幹線とローカル線・国際チャーター便を担う全日本空輸(ANA)とともに、かつての日本の3大大手航空会社の一翼を担っていた。45/47体制の終焉後は国内幹線や近距離国際線にも本格的に進出し、独創的なサービスを展開することでJALやANAとの差別化を図っていた。しかし、現存する大手2社と異なり採算がとりにくい国内準幹線・地方ローカル線が主力だったために常にその経営基盤は脆弱だった上、バブル崩壊後の景気悪化と航空自由化に伴う競争激化によって経営不振に陥った。

親会社である東急もグループ再編の過程で身売り先を模索し、最終的に日本航空との経営統合が決定。2004年4月1日に株式会社日本航空ジャパン(にほんこうくうジャパン、JALジャパン)に商号変更し、日本航空ブランドの国内線運航会社に転換され、事実上消滅した。そして、その日本航空ジャパンも2006年10月1日に、株式会社日本航空インターナショナル(現商号は日本航空株式会社)に吸収合併され、名実ともに消滅した。なお、旧日本国内航空の英語名に由来する2レターの航空会社コード「JD」は、中国の新興航空会社、金鹿航空(現:北京首都航空)に転用されている。
歴史(東亜国内航空・日本エアシステム時代)


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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