東一口
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東一口
大字
古川対岸から望む東一口集落
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日本
都道府県 京都府
市町村 久御山町
大字東一口
人口(2022年)
 ? 合計595人
等時帯UTC+9 (日本標準時)
郵便番号613-0021[1]
市外局番075[2]
ナンバープレート京都
東一口集落の航空写真(2020年撮影)
左上に宇治川。右側を南北に通るのが京阪国道。その間で南北2本の水路に挟まれるのが東一口集落。
国土地理院地図・空中写真閲覧サービス

東一口(ひがしいもあらい)は、京都府久世郡久御山町大字[3]。かつての巨椋池の南西に位置し[4]、半農半漁の集落であった[3]。巨椋池が干拓されてからは農業集落に一変したが[5][6]、集落には漁村の面影が残されている[7]。また東一口は難読地名としても知られる[8]
地理「巨椋池」も参照

東一口は久御山町の北部に位置する。北は京都市伏見区に接し、東は巨椋池干拓地、西には南西に向かって流れる宇治川とその左岸河川敷に面する[9]。東一口が属する久御山町は山城盆地のほぼ中央に位置し、盆地内でもっとも標高が低い場所である。かつては町北部に大池・中内池・大内池・西池・東池などから構成された巨椋池を擁する水郷地帯で、東一口はその水際に位置した[10]

巨椋池は、宇治川・木津川桂川の三川が流入する遊水地であった[11]。そして頻発する水害対策として河川の付け替えなど治水工事が繰り返し行われてきた。東一口もそうした水害と治水の歴史と深く結びつく地域である[10]

豊臣秀吉伏見城築城に伴い、宇治川は伏見を経由するよう付け替えられ、巨椋池と宇治川が分断された[12]。この宇治川の付け替え工事からやや遅れて、現在の久御山町大橋辺付近から宇治市安田町に至る堤防(大池堤)が作られた[12]。東一口の集落(小字東一口)はこの大池堤の上に造られた堤防集落である[9]。東一口での地質調査により大池堤は少なくとも過去2回の大規模な修築が行われ、そのたびに堤防の天端が上げられた事が明らかになっている[13]

また秀吉の宇治川の付け替え工事により、宇治川が増水すると下流から巨椋池に水が逆流するようになった。その水流により堆積する土砂によって東一口の北部に逆流デルタが形成された[14]。逆流デルタは近世以降に水田[注釈 1]になった。逆流デルタの土質は宇治川から逆流し堆積した厚さ2.3メートルほどの粘土層と、その下にはかつて湖底であったときの水生植物の腐植層が確認されている[14]

1941年(昭和16年)に完了した干拓事業により巨椋池は水田地帯になり、東一口での淡水漁業は終焉した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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