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公用語ウイグル語
宗教イスラム教スンニ派
首都カシュガル(第1共和国)
グルジャ(第2共和国)
主席
1933年 - 1934年ホージャ・ニヤーズ
1946年 - 1949年アフメトジャン・カスィミ
首相
1933年 - 1934年サービト・ダーモッラー
1946年 - 1949年アフメトジャン・カスィミ
面積
1949年1,711,931km²
人口
1944年705,168人
変遷
四・十二クーデター1933年4月12日
新疆省に合流1934年
イリ事変により再興1944年11月12日
中国共産党の新疆侵攻1949年
亡命政府設立2004年9月14日
通貨ソム
現在 中華人民共和国(新疆)
東トルキスタン共和国(ひがしトルキスタンきょうわこく、ウイグル語:شەرقىي تۈركىستان جۇمۇھۇرىيىتى、英語:Sherqiy Turkistan Jumuhuriyiti)は、テュルク系イスラム教徒によって、20世紀前半に中華民国の新疆省に属していた、中央アジアの東トルキスタン地方において樹立された政権である。
東トルキスタン西南部のタリム盆地カシュガルを中心とした第1次東トルキスタン共和国(1933年?1934年)
東トルキスタン北部のイリ・タルバガタイ・アルタイの3区を拠点とした第2次東トルキスタン共和国(1944年?1950年)
があり、歴史上2度にわたり、それぞれ別々の地域を拠点として樹立され、いずれも一定の期間、東トルキスタンの一部において実効的な独立政権を実現した。
第1次東トルキスタン共和国詳細は「第1次東トルキスタン共和国(英語版
1933年から1934年にかけて存在した第1次の東トルキスタン共和国は、1930年代始めに東トルキスタンを支配していた新疆省政府に対してウイグル人が主体となって現地のイスラム教徒の独立運動を糾合し、タリム盆地西南部のカシュガルに建設された政権である。1920年代に、第一次世界大戦後のロシア内戦とシベリア出兵の結果、大量のロシア人が中央アジアに流入し、その一部は中国領内に流入してテュルク人社会を形成した。この政権の発足は、これらの人々が傭兵として独立運動に参加し、軍事力を提供した四・十二クーデターが契機であった。ホージャ・ニヤーズ 国旗の前に座る, 1933
第1次東トルキスタン共和国の実効支配域
東トルキスタンイスラム共和国国旗
東トルキスタンイスラム共和国国章
1928年、?介石の南京国民政府が楊増新を新疆省長に任命したが、樊耀南(Fan Yaonan)に暗殺されると金樹仁が権力を掌握した。金樹仁の5年間の新疆統治がもたらした腐敗と圧制は、民族・宗教間の紛争を一気に表面化させた。
1931年、ハミのホージャ・ニヤーズがウルムチで蜂起。金樹仁はホージャ・ニヤーズ討伐に盛世才の部隊を派遣した。盛世才率いる省政府軍は反乱軍を撃破。ハミのホージャ・ニヤーズらに率いられた反乱勢力は西方へ逃亡した。
1932年、新疆に進出してきた甘粛省のイスラム教徒(回族)軍閥である馬仲英が率いる馬家軍がトゥルファンで反乱を起こしたが、これも盛世才に撃破された。
1933年4月12日、参謀処長陳中(中国語版)がイリへ逃れてきていた白系ロシア人と満州族の傭兵(帰化軍)を擁して蜂起(四・十二クーデター)。