東ティモールの歴史
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東ティモール民主共和国
Republika Demokratika Timor Lorosa'e (テトゥン語)
Republica Democratica de Timor-Leste (ポルトガル語)


国旗)(国章
国の標語:Unidade, Accao, Progresso
(ポルトガル語: 統一、行動、前進)国歌故国

公用語テトゥン語ポルトガル語
首都ディリ[1]
最大の都市ディリ
政府
大統領フランシスコ・グテレス
首相タウル・マタン・ルアク

面積
総計15,007km2154位
水面積率極僅か

人口
総計(2008年1,133,000人(153位
人口密度68人/km2

GDP(自国通貨表示)
合計(2013年)61億4,700万[2]アメリカ合衆国ドル

GDP (MER)
合計(2013年)61億4,700万[2]ドル(147位

GDP (PPP)
合計(2013年)258億[2]ドル(118位
1人あたり21,705[2]ドル

独立
 - 宣言
 - 主権回復(事実上の独立)ポルトガルより
1975年11月28日
インドネシアより
2002年5月20日[1]
通貨アメリカ合衆国ドル (USD)
時間帯UTC (+9)(DST:なし)
ISO 3166-1TL / TLS
ccTLD.tl
国際電話番号670
註1: かつては.TP

東ティモール民主共和国(ひがしティモールみんしゅきょうわこく)、通称東ティモールは、アジア東南アジア)地域に位置する共和制国家1999年8月30日国連の主導で独立についての住民投票を実施。インドネシアの占領から2002年5月20日独立した[1]国際法上はポルトガルより独立)。21世紀最初の独立国である。ポルトガル語諸国共同体加盟国。

島国であり、小スンダ列島にあるティモール島の東半分とアタウロ島ジャコ島飛地オエクシで構成されている。南方には、ティモール海を挟んでオーストラリアがあり、それ以外はインドネシア領東ヌサ・トゥンガラ州西ティモールを含む)である。
目次

1 国名

2 歴史

2.1 成立

2.2 ポルトガル植民地

2.3 インドネシアによる占領

2.4 国連の暫定統治と独立後の平和構築活動

2.5 独立後の混乱


3 政治

4 地方行政

5 地理と自然

6 対外関係と軍事

7 経済

8 国民

8.1 民族

8.2 言語

8.3 宗教


9 文化

9.1 音楽

9.2 祝祭日


10 スポーツ

11 脚注

11.1 注釈

11.2 出典


12 参考文献

13 関連項目

14 外部リンク

国名

正式名称は、Republika Demokratika Timor Lorosa'e(テトゥン語: レプブリカ・デモクラティカ・ティモール・ロロサエ)、Republica Democratica de Timor-Leste(ポルトガル語:レプーブリカ・デモクラーティカ・ド・ティモール・レスト)。略称は、Timor Lorosa'e(テトゥン語)、Timor-Leste (ポルトガル語)。

公式の英語表記は、Democratic Republic of Timor-Leste、略称は、East Timor。

日本語の表記は、東ティモール民主共和国。通称、東ティモール。ティモールの部分は、チモールとも表記される(近年では“ティモール”の表記が一般的である)。ちなみに、現地の発音は、「ティ」と「チ」の中間音。

国名は、「ティモール島の東部」という意味である。「ティムール (timur)」は、マレー語インドネシア語で「東」を意味する。テトゥン語の「ロロ」は「太陽」、「サエ」は「出る」、「ロロサエ」は「日の出」またはその方角(すなわち「東」)を意味する。ポルトガル語の「レステ」も「東」を意味する。
歴史詳細は「東ティモールの歴史(英語版)」を参照
成立

ポルトガルの植民地になるはるか昔、紀元前2000年ごろパプア系語族が島の東部へ移住していき、ずっと時代が下って紀元10世紀ごろオーストロネシア語族が流入してきた、と伝えられている。さらに紀元前3000年ごろと同2000年頃の二度に渡って、インド=マレー系エスニックグループが移住してきたとの説もある[3]


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