東チモール県知事日記
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『東チモール県知事日記』(ひがしチモールけんちじにっき)は、伊勢崎賢治の著作。

東チモール知事職だった自身の2000年3月12日から2001年5月14日までを記録したもの。2001年10月に藤原書店から出版された。

伊勢崎は3つの国連平和維持ミッションにかかわった[注 1]が、東チモール知事職はその最初で、時系列による単著としてまとめられた唯一のもの。
背景(東チモール略史)

この著作の「序」による。

16世紀 チモール島はポルトガル植民地。

18世紀 西チモールはオランダ植民地。

1950年 インドネシア独立。西チモールもインドネシア。

1974年 ポルトガルに
カーネーション革命

1975年11月 東チモール独立革命戦線が独立宣言。しかし12月にインドネシアが軍事侵攻

1976年7月 インドネシアが併合宣言。以後インドネシア占領下で24年間の内戦

1998年 インドネシアでスハルト政権崩壊。

1999年1月 インドネシアのハビビ政権は、東チモールの住民投票を容認。

1999年8月 UNAMET管理下で住民投票。8割の住民は完全独立に賛成。しかし、これに反対するインドネシア併合派民兵が、全土で破壊活動。

1999年9月 オーストラリアを主とする23国の多国籍軍が上陸し、治安を回復。

1999年10月 国連は東チモール暫定行政機構(UNTAET)を設立。2002年1月まで国政を管理。

知事赴任前の著者

1988年 30歳で国際NGO、
プラン・インターナショナルに就職。シエラレオネ、ケニア、エチオピアで現地所長。

1997年 伊勢崎はアフリカから帰国。翌年笹川平和財団の主任研究員。

1999年10月 外務省国連政策課から電話が来た。「ご存知のことと思いますが、国連安全保障理事会が今月中に東チモールのPKOのミッションを創設致します。ご興味はございませんか?」

2000年3月 UNTAET民生官となり、東チモール国境のコバリマ県知事に任命された。

内容

以下、年を記載しない月日は2000年。
県組織の構築運営

県政評議会を設立。県議会の代行組織の位置付け(5月1日)。

県治安委員会を設立。2つの国連大隊、国連軍事監視団、文民警察の代表からなる(7月3日)。

治安事態に対応する緊急対策会議を準備(7月31日、8月1日)。2001年4月3日に国境での発砲交戦で実動。

国連軍の統括

2つの国連大隊を知事が文民統括。ニュージーランド歩兵大隊900名、パキスタン工兵大隊600名(3月22日、4月14日)。

7月24日にニュージーランド大隊の兵士、8月11日にネパール中隊の兵士、計2名が、潜伏するインドネシア併合派民兵と戦闘して死亡。

インドネシア併合派民兵に対する武器の使用基準を変更。自己防衛のためには口頭警告なしで発砲可(10月25日)。
[注 2]

スアイ市内の騒動。アイルランド中隊が民間人に銃を向けた(2001年4月26日)。

インドネシア軍との円卓会議

2週間ごとに国境で、西チモールを守備するインドネシア軍と円卓会議。ちょっとした誤解・衝突を処理する(4月1日)。目的は信頼醸成だと、西部国連軍を統括するルイス准将
[注 3]に教わった。

西チモール在住難民の帰還手続き

1999年の東チモール住民投票前後に、併合派民兵による混乱で、20万人超(東チモール人口の3分の1弱)の東チモール人が、西チモールに避難または強制移住していた。東チモールとして民主国家を作るには、彼らが帰還の上で選挙されるべき(3月20日、7月23日)。

2000年9月、インドネシア併合派民兵が、西チモールの
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)を攻撃、職員3人を惨殺。国連職員は全員西チモールを撤退(9月6日)。以後国連は、難民帰還に関与できず。

治安、暴動への対応

伊勢崎の休暇中に、ベコ村でCPD-RDTLという政党に対しチモール抵抗民族評議会(CNRT)が暴力。国連軍と文民警察が出動する事態に(6月29日)。

司法の未整備

重罪人の併合派民兵を首都に送っても、UNTAET本部の司法整備ができていないため、証拠不十分で釈放されてしまう(11月12日)。
[注 4]

併合派民兵の大物、メンドンサの扱い。やはり首都で釈放されてしまった。対策を検討(2001年3月22日、4月27日)。

東チモール国軍の必要性

伊勢崎は東チモールに軍隊は必要ないと意見(12月10日、15日、2001年3月4日)。

UNTAET本部への批判

UNTAET本部を通じ、
世界銀行が介入を計画。それは現地の実情に合わないとやりあう(5月25日、7月18日)。

8月インドネシアがルピア紙幣を一部廃止。UNTAETも東チモール内の該当紙幣の廃止を発表。これではパニックを誘発するから、紙幣交換の制度を作るべきと意見(8月21日)。

労働争議の調停、職員の規律確保

NGOが運営する県立病院で東チモール人がストライキ。その調停(4月9日)。

5月にボランティア教師から公務員教師への選抜試験を施行。この採点に不正があったのではないか、という疑惑(8月28日)。アリピオが主導して調査(10月21日)。

パキスタン兵の地元女性へのセクハラ事件(5月4日、11月24日。翌年4月23日に処分決定)。

東チモール人への権限委譲

副知事に東チモール人アリピオが赴任(10月18日)。

アリピオを県知事代理、ガンビア人農業専門家サナを国連アドバイザーに任命し、任地を去る(2001年6月14日)。


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