東アーザルバーイジャーン州
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東アーザルバーイジャーン州
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位置

統計
州都:
 • 測地系:タブリーズ
 • 北緯38度04分36秒 東経46度16分48秒 / 北緯38.0766度 東経46.2800度 / 38.0766; 46.2800
面積:45,650 km²
人口(2005年)
 • 密度:3,500,183人
 • 76.7人/km²
シャフレスターン数19
タイムゾーン:UTC+3:30
主な言語:アゼリー
ペルシア語
ISO 3166-2:IR:IR-01
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東アーザルバーイジャーン州 (ひがしアーザルバーイジャーンしゅう、ペルシア語: ????? ????????? ???? Ost?n-e ?zarb?yj?n-e Sharq?)はイラン州(オスターン)。イラン北西部に位置し、アルメニア共和国アゼルバイジャン共和国およびアルダビール州西アーザルバーイジャーン州ザンジャーン州と境を接する。州都はタブリーズ。東アゼルバイジャン州とも。目次

1 地理と気候

2 歴史と文化

3 今日の東アーザルバーイジャーン州

3.1 高等教育機関


4 脚註

5 関連項目

6 外部リンク

地理と気候 オルーミーイェ湖の小島。

州の面積は1996年のセンサスによれば47,830km²。管下にアハル、ボスターナーバード、ボナーブ、タブリーズ、ジョルファー、サラーブ、シャベスタル、キャリーバル、マラーゲ、マランド、マレカーン、ミヤーネ、ハリース、ハシュトルードの14郡(シャフレスターン)を擁する。古都タブリーズは文化、政治、経済、商業の中心地。国境線を介してアゼルバイジャン、アルメニア、ナヒチェヴァンと接し、発達した道路網と鉄道網により、東アーザルバーイジャーン州はイラン各地や国外と接続されている。

州内の最高点は海抜3,722m、タブリーズ南方のサーハンド山。最低点はアーハルのギャルマドゥーズ。州内の高地はカラ・ダグ山地、サーハンド山地、ボズグーシュ山地の三部分に分かれる。

東アーザルバーイジャーン州は山がちであることも手伝い、おおむね冷涼、乾燥した気候であるが、高地以外ではカスピ海からの風がそれをやわらげる。冬に-1度まで下がり、タブリーズの1月の平均気温は-3.2℃となり、氷点下20度前後までさがることもあり、ケッペンの気候区分では亜寒帯に属し、高地地中海性気候ステップ気候(BSk)に該当する。気温が、夏にはタブリーズでは32.9度、マラーゲでは20度まで上がる。観光には春と夏の数ヵ月が適している。

タブリーズの気候
月1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月年
平均最高気温 °C (°F)1.2
(34.2)3.8
(38.8)10.1
(50.2)16.5
(61.7)22.5
(72.5)28.6
(83.5)32.9
(91.2)32.3
(90.1)28.2
(82.8)19.9
(67.8)12.1
(53.8)4.9
(40.8)17.8
(64)
日平均気温 °C (°F)?3.2
(26.2)?0.8
(30.6)4.9
(40.8)10.9
(51.6)16.5
(61.7)21.9
(71.4)26.0
(78.8)25.3
(77.5)21.1
(70)13.5
(56.3)6.5
(43.7)0.3
(32.5)11.9
(53.4)
平均最低気温 °C (°F)?6.6
(20.1)?4.5
(23.9)0.3
(32.5)5.7
(42.3)10.6
(51.1)15.2
(59.4)19.6
(67.3)19.0
(66.2)14.3
(57.7)8.0
(46.4)2.1
(35.8)?3.0
(26.6)6.7
(44.1)
降水量 mm (inch)25.8
(1.016)25.3
(0.996)47.0
(1.85)53.6
(2.11)41.9
(1.65)18.1
(0.713)3.2
(0.126)4.4
(0.173)9.4
(0.37)28.4
(1.118)28.0
(1.102)26.0
(1.024)310.9
(12.24)
出典: ⇒world climate

歴史と文化

東アーザルバーイジャーン州はイランでも非常に古い歴史を持つ地域で、エラムの当初の首都であり、ハカーマニシュ朝(アケメネス朝)中核の地でもある。

ストラボンなどのギリシア語文献ではアレクサンドロス3世(大王)の統治下の紀元前331年ないし紀元前328年、当時メディア地方と呼ばれたこの地で、「アトロパテース」Ατροπατη?/Atropat?s という戦士が叛乱を主導、それ以来「アトロパテーネー」Ατροπατηνη/Atropat?n? の名で呼ばれている、と伝えている。これは中期ペルシア語(パルティア語パフラヴィー語)でそれぞれ「アードゥルパード」 ?dur-p?d, 地名は「アードゥルパーダガーン」 ?turp?dak?n>?durb?dag?n と呼ばれていたもので、前者単独では「炎(?dur)を守る者」を意味する。

サーサーン朝時代には辺境司令(マルズバーン)が派遣されてこの地域一帯を統治し、この地域にゾロアスター教の重要な拝火壇(?te?g?h)がいくつか集中していたようで、当時の中心都市シーズ ??z および国家的宗教施設であったアードゥル・グシュナースプは現在の西アーザルバーイジャーン州のタフテ・ソレイマーン遺跡ではないかと考えられている。


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