東アフリカ大旱魃_(2011年)
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東アフリカ大旱魃
FEWS Net(英語版)が2011年7月に予想した8月から9月にかけての東アフリカの食糧危機レベル。濃い色ほど深刻。
ソマリアエチオピアケニアおよび周辺諸国[1]
地域ソマリア南部:大災害レベル、その他のアフリカの角地域:緊急または危機レベル[1]
期間2011年7月から
総死者数2012年4月までにソマリアで25万8000人[2]
死亡率最大で1日に1万人中の7.4人[3]。5歳以下の子供で1日に1万人中13人。
主要因猛烈な旱魃 - 人道援助の不足、内乱
救援物資24億8千万ドルの需要に対し、11億2千万ドル。
住民への影響1240万人以上。内訳はソマリア370万、ケニア350万、エチオピア460万など[4]

東アフリカ大旱魃(ひがしアフリカだいかんばつ)は2011年[5]から(FAOによれば2010年から[2])2012年まで東アフリカを襲った大規模な旱魃。「過去60年間で最悪」とも言われており[6]ソマリアエチオピアケニアが影響を受け、食糧不足により1200万人以上が生活を脅かされている[7][8]。旱魃がひどい地域と食糧危機が発生している地域は必ずしも重ならない。飢饉の被害は内戦が激しい南部ソマリアが特にひどく、住民の多くは隣国のケニアとエチオピアに逃れているが、人口密度の高さ、不衛生、栄養失調により、多くの人が命を失っている[3]。この3国以外にも、近隣のジブチスーダン南スーダン、及びウガンダの一部も食糧危機の影響を受けている[9][10][6][11]

2011年7月20日、国連はソマリア南部の2地域で飢饉が起こっていることを公式に宣言した。これはここ30年間で初めてのことである[12][13]。この宣言が出た時点で、ソマリア南部では数万人の死者が出ていると考えられている[12]。8月3日、国連は新たにソマリア南部の3地域に対して飢饉の発生を宣言し、状況の悪化と支援の不足を訴えた。さらに、続く4 - 6週の間に、南部地域すべてに広がるだろうとも予測した[14]。国連は、さまざまな手段で必需品を輸送したが、国際的な協力が得られないことによる資金不足、被災地域の紛争などにより、不十分となっている[12][15][16]。ケニア赤十字のアバス・ガレットは2011年6月に「例え2011年3月から5月に来るはずだった雨季が遅れて始まったとしても、農民の帰還は間に合わず、農耕が再開されるのは2012年7月 - 8月の雨季を待たなければならないだろう。我々は、それまでの期間の援助が必要と考えている」と語っている[17][18]

2011年11月中旬になって国連は、ソマリア南部のベイ州バコール州下部シェベリ州が飢饉状態を脱したが、首都モガディシュなどではいまだ飢饉が続いており、この対策費として来年10億ドルが必要であると発表している[19]

2012年2月2日、国連はこの飢饉に対し、正式な終息宣言を出した。ただし危機を解消するためには引き続き支援が必要だという意見もある[20]
旱魃と飢饉の原因ダダーブ難民キャンプの郊外。2011年7月8日。

太平洋で生じたラニーニャ現象などの影響で、東アフリカ地域では2年連続で降雨不足となった。ケニアとエチオピアでは2011年、ソマリアでは2010年から2011年にかけて、雨季にまとまった雨が降らなかった[5]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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