東 くめ
出生名由比 くめ
別名東 粂子(ひがし くめこ)[1]
生誕1877年6月30日[2]
出身地 日本 和歌山県東牟婁郡新宮町
(現:新宮市[2])
死没 (1969-03-05) 1969年3月5日(91歳没)[2]
日本 大阪府池田市
学歴東京音楽学校本科、研究科[2][3]
ジャンル童謡
職業作詞家
共同作業者瀧廉太郎(作曲家)
東 くめ(ひがし くめ、旧姓:由比(ゆい)、1877年6月30日 - 1969年3月5日)は、和歌山県東牟婁郡新宮町(現:新宮市)出身の童謡作詞家。日本で初めて口語による童謡を作詞した。1899年に東京女子高等師範学校教授・東基吉と結婚し、東くめとなる。目次 1877年6月30日、和歌山県東牟婁郡新宮町(現:新宮市)に元新宮藩家老・由比甚五郎の長女として生まれる。第一尋常小学校
1 経歴
2 代表作
3 その他
4 脚注
5 参考文献
6 外部リンク
経歴
同年、東京音楽学校研究科に進学してピアノと和声学を学ぶかたわら、東京府立高等女学校の音楽教諭になり[3]、8年間務める。1899年に東京女子高等師範学校教授で同郷の東基吉と結婚し、教育学者だった夫の提案により、「子供の言葉による、子供が喜ぶ童謡」の作詞を始め、2年後輩の瀧廉太郎と組んで、「お正月」、「鳩ぽっぽ」、「雪やこんこん」などの作品を残した。1901年に共益商社書店
から出版された「幼稚園唱歌」には東くめ作詞、瀧廉太郎作曲の12曲が所収されている[4]。1903年に生まれた子の東貞一(1903?80)は後にピアニストになった[5][6]。音楽教諭を退職後、夫が大阪府池田師範学校長に就任したため、大阪府池田市へ転居。1918年に設立された関西の婦人団体「ピアノ同好会」の幹事となる[7]。1959年の東京藝術大学創立80周年記念式典で音楽教育功労者表彰を受け、1962年には新宮市名誉市民となり、池田市文化功労賞を受章。1964年6月6日に阪急百貨店特別食堂で東くめ米寿・東貞一還暦祝賀パーティーを開催[8]。高齢になってもかくしゃくとしており、90歳まで現役のピアノ教師として働いた。
代表作
『春の海』(瀧廉太郎 作曲)
『四季の瀧』(瀧廉太郎 作曲、1899年[3])
『懐友』(ユストゥス・ヴィルヘルム・リューラ(ドイツ語版) 作曲、瀧廉太郎 編曲)
『猟夫』(作曲者不詳、瀧廉太郎 編曲)
『夕立』(作曲者不詳、瀧廉太郎 編曲)
『納涼』(瀧廉太郎 作曲、組歌『四季』第2曲、1900年[3])
幼稚園唱歌(東くめ作詞の12曲はすべて瀧廉太郎作曲[4][9])
『ひばりはうたひ』
『鯉幟』
『海のうへ』
『お池の蛙』
『夕立』
『かちかち山』
『鳩ぽっぽ』 - 「ぽっぽっぽ」で始まる『鳩』とは別の曲。
『菊』
『軍ごっこ』
『雪やこんこん』 - 「雪やこんこ」で始まる『雪』とは別の曲。
『お正月』
『さよなら』
歌集『惜春』(京都: 燈園出版、1957年出版[2])
その他
死去した翌年の1970年12月20日に、TBS系列「東芝日曜劇場」にて、東の生涯をとりあげたテレビドラマ『いのちの歌』(製作:中部日本放送、脚本:木下惠介)が放送された。このドラマでは、樫山文枝が東を演じた。また、1993年には映画『わが愛の譜 滝廉太郎物語』で渡辺典子が、1998年にはオペラ『瀧廉太郎』で氷見政子が、それぞれ東を演じている。
脚注^ 塩津 2010, pp. 5, 8.
^ a b c d e f コトバンク. 東 くめ.
^ a b c d e 仲松 2017, p. 43.
^ a b 仲松 2017, pp. 41, 45-54.
^ 塩津 2010, pp. 5, 8, 11-12.
^ “東 貞一”. コトバンク. 新撰 芸能人物事典 明治 - 平成. 2020年3月20日閲覧。
^ 塩津 2010, pp. 2, 5.