杭全
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杭全
町丁
東部市場前駅
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日本
都道府県 大阪府
市町村 大阪市
東住吉区
面積[1]
 ? 合計0.579773281 km2
人口(2019年(令和元年)9月30日現在)[2]
 ? 合計9,044人
 ? 密度16,000人/km2
等時帯UTC+9 (日本標準時)
郵便番号546-0002[3]
市外局番06(大阪MA[4]
ナンバープレートなにわ

杭全(くまた)は、大阪府大阪市東住吉区町名。東住吉区を構成する19町のうちの1町である。現行行政地名は杭全一丁目から杭全八丁目。
地理

杭全は東住吉区の最北部に位置する。
北部は
生野区、北東部は東住吉区今林町東部、東部は平野区、南部は東住吉区今川町、西部は東住吉区桑津町、西今川町と隣接する。

北部には、平野川分水路が流れ、生野区との境界線となっている。又西部には、今川が流れ、桑津町、西今川町との境界線になっている。

なお杭全神社があるのは隣の平野区である。
街構造街並は、国道25号、大阪市道森小路大和川線(通称 今里筋)によって大きく3つに分かれる。国道25号より北に位置する準工業地域の北地区、今里筋の西に位置する西地区、新興住宅地域の東地区に分かれる。北地区 杭全一丁目西地区 杭全二 - 五丁目東地区 杭全六 - 八丁目
地域概要

用地地域
[5]

地区区域区分用途地域容積率建ぺい率
杭全1 - 2丁目、6丁目一部市街化区域準工業地域300%80%
杭全3 - 4丁目、6丁目一部(源光寺?ロータリー付近)市街化区域準住居地域300%80%
杭全3 - 8丁目市街化区域第1種住居地域200%80%


防火・準防火地域は、杭全1?8丁目まで全て「準防火地域」である。また杭全5丁目1号のみ生産緑地地区の指定である。

地価
杭全1丁目13-12(準工業地)- 22.2万円(※国土交通省 平成16年9月21日発表)
世帯数と人口

2019年(令和元年)9月30日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]

町名世帯数人口
杭全一丁目916世帯1,662人
杭全二丁目693世帯1,254人
杭全三丁目287世帯562人
杭全四丁目538世帯1,200人
杭全五丁目554世帯1,116人
杭全六丁目464世帯851人
杭全七丁目596世帯1,231人
杭全八丁目569世帯1,168人
計4,617世帯9,044人

人口の変遷

国勢調査による人口の推移。1995年(平成7年)8,247人[6]
2000年(平成12年)8,569人[7]
2005年(平成17年)8,781人[8]
2010年(平成22年)8,781人[9]
2015年(平成27年)8,551人[10]
2020年(令和2年)9,071人[11]

世帯数の変遷

国勢調査による世帯数の推移。1995年(平成7年)3,226世帯[6]
2000年(平成12年)3,457世帯[7]
2005年(平成17年)3,734世帯[8]
2010年(平成22年)3,964世帯[9]
2015年(平成27年)3,802世帯[10]
2020年(令和2年)4,348世帯[11]

平成17年国勢調査

人口 8,784人
[12]

世帯数 4,070世帯
(※平成17年国勢調査 町丁目別資料)

町名人口男性女性世帯数
杭全1丁目1,305名628名677名684世帯
杭全2丁目1,216名604名614名570世帯
杭全3丁目658名298名360名290世帯
杭全4丁目1,175名563名612名496世帯
杭全5丁目1,121名531名590名556世帯
杭全6丁目754名362名392名385世帯
杭全7丁目1,331名657名674名568世帯
杭全8丁目1,224名572名652名521世帯
合計8,784名4,215名4,569名4,070世帯


東住吉区19町の中で、人口数は第4位、世帯数は第5位である。

年代別比率

00 - 14歳1,174人13.3%
15 - 64歳5,844人66.5%
65 - 79歳1,354人15.4%
80歳以上412人4.6%

(※65歳以上が占める割合は、全体の20%、5人に1人の割合である)
歴史

古代
平安時代初期(西暦800年頃)坂上広野蝦夷との戦いで武功を立て、朝廷から杭全荘を賜ったという伝承がある(平安時代初期にはまだ荘園というものはないので、あくまで伝承である)。

中世
源義長を祖とする石川源氏系の杭全氏が杭全荘の開拓を行ったが、15世紀頃から坂上行松を祖とする平野氏と、後に「平野七名家」と呼ばれることになる平野氏の庶流が荘園の自治に携わった。平野七名家とは、末吉氏、土橋家、辻花氏、成安氏、西村氏、三上氏、井上氏の7軒である。同時期から平野荘と呼ばれ始める。戦国時代には、織田信長の脅威に対し、荘園、町周辺に環濠を建設、防御を備えたが、織田信長に屈服した。その後、豊臣秀吉天下統一を果たすと、有力商人は大坂・天王寺村へ移住させられ、環濠は埋められた。これが大坂の陣徳川方に付く遠因となったとも言われる。ただし、平野郷そのものは秀吉から妻の高台院に与えられ、彼女が死去するまでその所領となった。大坂の陣では、平野庄に徳川家康の陣が設けられ、末吉氏は平野荘の代官に任命される。大坂の陣後は倒壊した町の再整備を行った。この頃から平野郷と呼ばれるようになる。※杭全荘、平野荘、平野郷は同じ地域の名称であることから、時代によって変遷があった、また併称されたとも言われる。

近世
平野郷は、七町で構成される「平野本郷」と今在家、新在家、今林、中野の四村で構成される「平野散郷」で構成されるようになる。現在の杭全は、平野散郷の新在家村が源流である。平野散郷ができた理由は、新田開発による枝郷の形成結果であると言われている。

近代・現代

西暦元号月日出来事
1875年明治8年5月摂津国住吉郡新在家村に、第三中学区住吉郡第一区第八番小学校(現:大阪市立育和小学校)開校。


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