きのみや りょうこ
来宮 良子
プロフィール
本名櫻井 良子
(さくらい りょうこ)[1][2]
性別女性
出身地 日本・東京府荏原郡荏原町(後の東京府東京市荏原区、現:東京都品川区荏原)[3]
死没地 日本・東京都港区[4]
生年月日 (1931-07-10) 1931年7月10日
没年月日 (2013-11-25) 2013年11月25日(82歳没)
血液型A型[5]
職業声優、女優、ナレーター
事務所東京俳優生活協同組合(最終所属)[6]
配偶者独身
公称サイズ(時期不明)[7]
身長 / 体重158 cm / 51 kg
活動
活動期間1951年[3] - 2013年
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来宮 良子(きのみや りょうこ、1931年7月10日[6][8] - 2013年11月25日[1][8])は、日本の声優、女優、ナレーター。東京俳優生活協同組合に所属していた[6]。東京府荏原郡荏原町(後の東京府東京市荏原区、現:東京都品川区荏原)出身[3]。
キャリア初期は、本名の櫻井 良子(さくらい りょうこ)[1]名義でも活動していた。 小さい頃から本を朗読することが好きであり、アナウンサーになることを志望していた[9]。 当初は東京府青山師範学校(後の東京第一師範学校)に通っていたが、小学4年生から東京都白金国民学校(現:港区立白金小学校)に転校[3]。戦時中は疎開がてらに茨城県立土浦高等女学校(現:茨城県立土浦第二高等学校)に進学し、女子寮に入る[3]。色々あり、一ヵ月で町の下宿に移り、姉と一緒に生活を始めたがそれも長続きせず東京都へ帰郷して調布高等女学校(現:田園調布学園中等部・高等部)に転校[3]。 花嫁修業のつもりで東京家政学院短期大学に進学[3]。1951年、東京家政学院短期大学在学時、NHKラジオドラマ『向う三軒両隣り』での一般公募オーディションに合格し娘役でデビュー[3][9][10]。同時に大学を中退し、東京放送劇団へ四期生として入団した[9][11]。同期生には黒沢良[3]や山内雅人、川久保潔などがいる。その頃から、仲間と研究会のようなことで舞台を二度ほど経験しており、『阿Q正伝』だったと語る[3]。しかしどうしてもあの空気が好きになれなかった[3]。あまり人のいっぱいいるのが好きではなく、スタジオで1人でするのが良かった[3]。舞台の脚光はほしくなく、全身をさらして大勢の人の前に立つのはいやだったという[3]。 1952年には『君の名は』でナレーションを担当[11]。当初は本名で活動していたが、劇団民藝に桜井良子という女優がいたため改名を決意し[3][12][13]、1953年に『向う三軒両隣り』での役名「来宮」をとって現在の芸名となる[10]。以降は『笛吹童子』など多くのNHKラジオドラマに出演し、声優の道を歩む[9]。 テレビ放送開始したばかりの時期、2、3度はテレビドラマに出演していた[3]。1955年にフリーとなり[3][10]、ラジオ番組の司会や『アニーよ銃をとれ』で主演の吹き替えを担当するなど幅広く活動[9]。森の会、プレーズセンターを経て、1958年に太平洋テレビジョン芸能部所属[14]。1960年には東京俳優生活協同組合の創立に参加し、亡くなるまで同組合に在籍した[6]。 1967年と1979年にACC賞(ナレーション部門)を受賞[6]。2008年には、第2回声優アワードで功労賞を受賞した[6]。 2013年4月以降、病気療養のためレギュラー出演していたナレーション業を降板し、代役・後任が立てられるようになった。同年11月25日、来宮は肺疾患による多臓器不全のため東京都港区の病院で死去した[4][15]。82歳没。生涯独身だった。通夜・葬儀は近親者で行った。遺作は同年7月17日に収録した『たけしの健康エンターテインメント!みんなの家庭の医学』のナレーションとなった[4]。
来歴