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村石 雅行
生誕 (1964-07-19) 1964年7月19日(59歳)
出身地 日本 熊本県 熊本市
学歴東京藝術大学音楽学部打楽器科卒業
ジャンルJ-POP
ジャズ
フュージョン
ロック[1]
職業ドラマー
音楽プロデューサー
担当楽器ドラム
事務所有限会社エイジアンブロウ
公式サイトMasayuki Muraishi OFFICIAL WEBSITE
村石 雅行(むらいし まさゆき、1964年7月19日 - )は、日本のドラマー、音楽プロデューサー。熊本県熊本市出身[2][3]。血液型はA型。 ドン・グルーシン、渡辺香津美、高中正義、国府弘子などジャズやフュージョンのセッションライブ、スタジオワークから、フジテレビ系列「LOVE LOVE あいしてる」「僕らの音楽」「FNS歌謡祭」などへのTV出演と、多方面で精力的に活動[1][2][3][4]。アーティストからの信頼も厚く、松任谷由実、吉田拓郎、椎名林檎、クライズラー&カンパニー、DREAMS COME TRUE、ポルノグラフィティ、国府弘子、アンジェラ・アキ、スキマスイッチらのバックバンドのメンバーとしてツアーサポートを務めるほか、スタジオ・ミュージシャンとして数多くの作品のレコーディングに参加している[3][4]。またドラム・スクール「村石雅行ドラム道場」を運営するなど、後進の育成にも尽力している[1]。 東京藝術大学在学中、高等学校教員免許状(音楽)を取得[4]。 幼少の頃より空手や剣道などの格闘技や武道を学ぶ[4]。そのため自らを「闘魂ドラマー」と称し、「闘魂ビデオ」という名の教則ビデオも出している。 幼少期からピアノを習っていたが、中学時代にバンドを結成してドラムを始める。文化祭ではアリス、ゴダイゴ、チープトリックのコピーを演奏。 熊本県立済々黌高等学校に進学するとパンク・ロックバンドに所属し、チェッカーズやロッカーズなどを輩出したYAMAHA主催の音楽コンテスト「エルモーション」などに出場。 東京芸術大学音楽学部打楽器科に入学。在学中から音楽活動を始め、おニャン子クラブ、工藤静香、森高千里らのバッキングを務める[3]。 大学卒業後、1988年にプログレッシブ・ロックバンドのKENSOに加入し、2003年まで在籍する[3]。また同じ芸大の後輩、葉加瀬太郎率いるクライズラー&カンパニー等のサポートも始める[4]。 1994年、30歳の時に松任谷由実のツアーメンバーとして全国ツアーデビュー。以後、参加を続ける。 1999年から2000年まで、椎名林檎のバックバンド・虐待グリコゲンのメンバーとして全国ツアーなどに参加。また2ndアルバム『勝訴ストリップ』のレコーディングにも参加。 2000年6月4日、松任谷由実のツアーバンドのコーラスだった佐藤有香(現・村石有香)と入籍。結婚報告は松任谷が直々にコンサートのMCで行った。 2003年、インディーズバンド「the SNUFF ROLL」のアルバムを初プロデュース。同年10月5日、長男誕生。 2005年、ギタリストの矢堀孝一が結成したフュージョンバンド「FAZJAZ」に参加。同年、アンジェラ・アキの1stシングル「HOME」からレコーディングに参加するようになる[注 3]。 2006年7月13日、長女誕生。 2007年からアンジェラ・アキの全国ツアーに参加。 2009年からスキマスイッチの全国ツアーに参加。 2011年4月、ドラムスクール「村石雅行ドラム道場」を東京都内に開校。
人物
楽器
ドラムセットはどんな仕事においても一貫してほぼ変わらず、ワンバスにツインペダル、タムが2つで、通常のクラッシュシンバルを使用しない点がこだわりである。セッティングの特徴としては可能な限り椅子とハイハットを高くする点が挙げられる。椎名林檎のツアーを収録したライブビデオでは、ほぼ立っているのと変わらないほどの高さにセッティングされた椅子を確認することが出来る。
シンバルはセイビアン[注 1]を多用する。
ドラムのメーカーはパール[注 2]を愛用する。
RolandのV-drums(エレクトリック・ドラム)を使用する第一人者としても知られ、開発にも携わっている[4][5]。
略歴