村正
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刀〈銘 勢州桑名住村正/〉。東京国立博物館所蔵(高松宮家旧蔵)。

村正(むらまさ、初代の生年は文亀元年(1501年)以前)、通称千子村正(せんご むらまさ)は、伊勢国桑名(現在の三重県桑名市)で活躍した刀工。千子派の祖。およびその名跡、その作になる日本刀の名。同銘で六代以上あり[1]、中でも右衛門尉村正(文亀・永正頃(1501?1521年頃)に活躍)と藤原朝臣村正(大永天文頃(1521-1555年頃)に活躍)が最大の名工だが、名跡そのものは少なくとも寛文8年(1668年)[2]まで存続した。

史上最も有名な刀工名の一つ[3][4]。その作は武器としての日本刀の代名詞で、斬味凄絶無比と名高く[5][6][7][8]、精強で知られる三河武士を中心に[5][9]将軍徳川家康[9]関白豊臣秀次[10][11]天下人を含む戦国時代の武将から至上の業物(実戦刀)として愛用された。さらに、刀剣美術としても、南北朝後の室町・戦国時代(1394?1596年)を代表する巨匠で[12]、覇気を放つ鋭い作風で知られ[13][6][14][12]、芸術品としての村正を賞美した蒐集家に伊藤博文などがいる[15][16]。技法としては、刀鍛冶の本流五箇伝の一つ美濃伝を基礎に、山城伝、島田派、末相州等の技を取り入れて独自の作域に達し、刃文を表裏揃える村正刃(千子刃)[12]などの様式を広めた。

また、江戸時代以降は妖刀伝説が広く世に広まって風評被害を受けたが[3][9]倒幕の象徴として西郷隆盛志士に愛用され、一方で歌舞伎浮世絵を始めとする創作物で村正が題材の傑作も生まれた。
概要桑名市勧学寺 - 近辺に村正が住居を構えていた。伝説上では、初代村正生誕と「千子」名の発祥に関わりがあるとも言われる。桑名市仏眼院 - 村正の一族の菩提寺だったという説がある。

村正は、正宗らと並称されるほど、一般に最も知名度の高い刀工の一人である[3][4]。初代以降は名跡(トレードマーク)として六代以上は続いていた[1]

村正の刀が最も称賛されるのはその凄まじい斬れ味で、本拠地が伊勢と地理的にも近い精強な三河武士を中心に、徳川家康#村正御大小)や豊臣秀次一胴七度)などの天下人を含めた大名格や、その重臣・子弟などの上級武士に戦場で愛用された優品である[3][5][9]。実戦刀としては、当時最も高級に評価されたものの一つだった(#代付)。正宗が天下の名刀(芸術品)なら、村正は天下の業物(実戦刀)と言える(#斬味)。

江戸時代に生じた妖刀伝説のみによって有名になったと誤解されることもあるが、実際は戦国時代の間に、既に当代最高の刀工名跡としての名声を確立していた。とりわけ、大永天文の代の村正は「藤原朝臣村正」を称したが、この「朝臣」の名乗り方から彼が五位の位階を得ていたこと[17]、つまり貴族従五位下以上)に叙爵されていたことがわかる。比較として、関派の筆頭和泉守兼定や「日本鍛冶惣匠」伊賀守金道ですら、その受領名は六位相当に過ぎない。五位相当の官職を持つ刀工は他に、四代勝光右京亮勝光)や初代大道(陸奥守大道)などがいるが、右京亮勝光は将軍足利義尚から[18]、陸奥守大道は織田信長から[19]庇護を受けるなど、いずれも当時の天下を握る武士と繋がりがあった。それに対し、商業都市桑名に住みながらも貴族に列せられた村正が、当時いかに破格・別格の存在だったかが見て取れる。『極論集』(慶長年間(1596年-1615年)写)では、「初心より正宗と見る程なるがあり」とあり[12]、妖刀伝説の発生以前から正宗と比較されるほど高名であった。

「妖しい魅力のある刀」という意味での妖刀評は嘘ではなく、その覇気を感じさせる外観が妖刀伝説に説得力を与えたのではないかともされる[6]。村正の作は、美術品としても、南北朝時代後の室町時代(1394年?1596年)を代表する作品の一つと評されている[12]#美術的評価)。美術品としての村正を愛した人物として最晩年の伊藤博文などがいる(#春畝村正)。末古刀期(1461年-1596年)の刀は一般に没個性的なものが多いが、村正は特殊なケースで、個性的な特徴が幾つもあって異彩を放ち、刀剣の勉強会で行われる入札鑑定でも比較的容易な部類である[3]#作風)。全体として反りが浅く肉つきが薄く、鋭さを感じさせる形状になっている[20]。刃文は、のたれ(大きくうねる波の形)[3]や、.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}五(ぐ)の目乱れ(ランダムな波型)が多く[5]、乱れの谷部が刃先に迫り[3]、これらも凄みを感じさせる。また刃文が表裏揃う場合が多い[3](揃う場合を村正刃ともいう[5])。ただし、これらの刃文の傾向にあるというだけで他の形式もある[3][5](なかご)はタナゴ腹に分類され、魚のタナゴのお腹のように茎先(下端)へ急に狭くなっていく形だが、村正はそれが顕著なので特に村正茎とも言う[5]。また、代ごとに銘の「村」と「正」に変わった書体を用い、特に「正」字は弟子も使用するので、銘を見れば代や師弟関係をある程度推量することができる[17][21]


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