村国子老
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 凡例村国子老
時代奈良時代
生誕不明
死没不明
官位従五位下出雲介
主君聖武天皇孝謙天皇淳仁天皇称徳天皇光仁天皇
氏族村国
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村国 子老(むらくに の こおゆ)は、奈良時代官人。姓(カバネ)は官位従五位下出雲介
経歴

天平13年(741年讃岐介官職にあったが、官司の長官に礼を失し従順でないことを理由として、越後掾・錦部男笠と共に解任された。

淳仁朝天平宝字7年(763年)正月に20年以上振りに昇叙されて従五位下主船正に叙任され、翌天平宝字8年(764年)8月に能登守として地方官に転じる。同年9月に藤原仲麻呂の乱が発生する。乱では一族の美濃少掾村国島主藤原仲麻呂側に与したと見られて殺された[1]。子老の処分は明らかでないが、位階の剥奪もしくは降格が行われたらしく、能登守の官職も任官1ヶ月余りで解任され平群虫麻呂に取って代わられている[2]

宝亀元年(770年光仁天皇の即位に伴って正六位上から再び外従五位下に復す。宝亀2年(771年園池正に任ぜられるが、宝亀5年(774年伊豆守次いで出雲介と地方官に転じている。
官歴

続日本紀』による。

時期不詳:正六位上讃岐介

天平13年(741年) 5月27日:解讃岐介

天平宝字7年(763年) 1月9日:従五位下主船正

天平宝字8年(764年) 8月4日:能登守

時期不詳:正六位上

宝亀元年(770年) 10月1日:外従五位下

宝亀2年(771年) 9月16日:園池正

宝亀5年(774年) 3月5日:伊豆守。6月23日:出雲介

脚注[脚注の使い方]^ 『続日本紀』天平宝字8年9月20日条
^ 『続日本紀』天平宝字8年9月25日条

参考文献

宇治谷孟『続日本紀 (中)』講談社講談社学術文庫〉、1992年

宇治谷孟『続日本紀 (下)』講談社〈講談社学術文庫〉、1995年


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