村八分
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ロックバンドについては「村八分 (バンド)」を、映画については「村八分 (映画)」をご覧ください。

村八分(むらはちぶ)とは、村落村社会)の中で、慣習を破った者に対して課される制裁行為であり、一定の地域に居住する住民が結束して交際を絶つこと(共同絶交)である。転じて、地域社会から特定の住民を排斥したり、集団の中で特定のメンバーを排斥(いじめ)したりする行為を指して用いられる。
概要

江戸時代における、村落共同体(ムラ)の自治的制裁として著名なものであるが、自治的制裁自体は、罪の軽い順で罰金・絶交・追放という三つがあった[1]。広範には、最も軽い罰金が適用された。一方で、絶交と追放は家そのものをムラの成員として認めない制裁であり、非常に厳しいものであった。追放となると、完全にムラの外に追い出し近隣での居住を認めないものもあったが、多くは道祖神などで区切られた村界の外へ追放し、さびしい一軒屋の生活を送らせるものであった[1]

絶交処分である村八分は、事実として単に交際を断つのみならず、茜頭巾をかぶらせたり、縄帯をつけさせる、隣地で鐘を連打して悩ませたり、青竹で門口を結いめぐらすような積極的な迫害行為を伴い、などへの参加の停止や惣山など入会地への立入禁止など、付加的な制裁を加えるなど地域によりさまざまの慣行があった[1][2]。村八分の措置がなされ、入会地の使用が停止されると、薪炭や肥料(落ち葉堆肥など)の入手に窮する他、入会地に属する水源の利用ができなくなるなど、事実上村落社会における生活ができなくなった。一方で絶交,追放という制裁に期間が定められるということがほとんどなく、改悛のほどを仲介人を通じて申し出、村寄合の席上などで陳謝し、「コトワリ酒」「アヤマリ酒」などとして酒肴料を提供することや、「詫状」を差し出し免除されたことは、制裁がそれほど長期間でなかったことを示している[1][2]。ただし、解除後も数年間は会席の末座に列するなど公的場面での差別扱いが続くこともあった[2]

村八分とされる理由は村協同生活の規約・慣行の違反行為が主で、用水・入会地などの用益規制違反や協同作業の懈怠、あるいは日常の生活態度がとくに村人の反感を買う場合などで、暴行・窃盗・放火などの領主権力による刑罰に委ねるべき行為に対してはまれであった[1][2]。明治以降、領主権力が刑事法的なものに移行してからも、村八分などの制裁は共同体の慣習としてのこったが、村落の中での掟や秩序は、合法的・客観的で公明正大なものとは程遠く、その地域の有力者の私的・主観的な利益に沿うためのものや江戸時代までしか通用しないような封建的・旧態依然とした内容のものも多いなど、公平な秩序維持活動とは言えず、近代的人権を侵害し法に反するものと認識され、1909年大審院判決で、村八分の通告などは脅迫あるいは名誉毀損とされた。

こういった私的制裁である村八分行為は、第二次世界大戦後になっても存続し、近年においてもしばしば問題となっている。戦後で有名になった事件としては、1952年昭和27年)に、静岡県富士郡上野村(現・富士宮市)で起きた、参議院補欠選挙での村ぐるみの不正を告発した女子高校生が一家共々村八分にされた事件がある(静岡県上野村村八分事件[3]

なお、現在、NHKをはじめ多くの放送局では、「村八分」という言葉を放送自粛対象としている。
語源

「村八分」の語源として、有名なものに「地域の生活における十の共同行為のうち、葬式の世話と火事の消火活動という、放置すると他の人間に迷惑のかかる場合(二分)以外の一切の交流を絶つことをいうもの」であるというものがある。葬式の世話が除外されるのは、死体を放置すると腐臭が漂い、また疫病の原因となるためとされ、また死ねば生きた人間からは裁けないという思想の現れともいう。また、火事の消火活動が除外されるのは、他の家への延焼を防ぐためである。なお、残り八分は成人式結婚式出産病気の世話、新改築の手伝い、水害時の世話、年忌法要、旅行であるとされる。以上は、言語学者である楳垣実が説くところである。

しかしながら、「はちぶされる」という言葉自体が元々は村落生活とは無関係に、江戸時代中期に発生した言葉であること[注釈 1]、実際の村八分においてなされた入会地の利用の停止などが含まれていない、また、楳垣以前の主張例がない[注釈 2]ことなどを考慮すると、語源俗解で後世の附会であり誤りと主張されており[1][2]、「八分」は「はぶく」や「はじく」(爪弾きにする)の訛ったものなどの諸説も唱えられている[注釈 2]。作家の八切止夫は村八分の語源を村八部にあると唱えている。
第二次世界大戦後の主な村八分事件・騒動

静岡県上野村村八分事件(1952年)

三里塚闘争 - 成田空港問題を巡り、立場が異なる住民に対して行われた。

新潟関川村村八分事件(2004年)- 後述

愛知県豊田市八草町の村八分騒動[4]


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